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ヴェネチアの路地裏の風情を持つリゾートスポット
Rovinj
ロヴィーニ
(クロアチア)♦♦
Centro
Storico

古い家々のかつての玄関は、海に面している

外にも、東方航路でヴェネチア近くに位置するロヴィーニが、ヴェネチアに恭順したのは比較的新しい。著しく発展したのは18世紀に入ってからのことであり、そのとき元々小島であったものが埋め立てにより本土と陸続きになった。
 そのためかこの町の海岸沿いは、現在のヴェネチアの住宅街の光景と瓜二つだ。
 埋め立て部分の北側が大型船の入れる新港、南側が漁船やクルーザーが湾内を賑やかに埋め尽くす旧港となっており、それぞれ全く違った感じながらも目に強く焼きつく印象深い海沿いの街並みだ。

旧市街を貫くメインストリートは色彩も鮮やか


 新港側から見ると、海岸は比較的急な斜面となって海に落ち込んでおり、波を被る形で防波堤を兼ねた海岸沿いのカラフルな住居群が北向きに並んでいる。海から直接出入りする玄関を持つこれらの家々は、運河沿いに入口を持つヴェネチアの家並みそのものだ。
 一方旧港側からは、深く切れ込んだ良港を囲むように南向きの明るい家並みが港を囲み、海岸沿いに露店やカフェなどが数多く並ぶリゾート感のある一帯となっている。
 いずれもまさに、クロアチアの海岸部を代表する絵のような風景と言ってよいだろう。
 そしてこの両港を結ぶ埋め立て部分に街のメインストリートが形成されており、末端には、時計塔と旧市街への入口であるバルビ門とがある、巨大なチトー元帥広場(Trg Maršala Tita)になっている。

城壁内の旧市街から望むサンマルコ教会

市街の小島だった部分は小高い丘になっており、緩い上り坂となって道は街のシンボルであるスヴェタ・エウフェミヤ(Sv. Eufemija)教会へと続く。
 途中の17世紀の可愛らしい家々を縫って進む石畳の路地の両側は、洒落た土産物やアートショップとなって、目を楽しませてくれる。

観光と漁業とで活気ある海の町

 クロアチアの独立後、国づくりが進むのと平行して観光開発が進んだため、十年前にはこの坂道の界隈だけだったアートショップや土産店が、今や裏の細い路地にまで広がっている。
 夏の夜ともなれば、大きなチトー元帥広場が露店と雑踏とで溢れんばかりの賑わいになる。旧市街を取り巻く数キロ四方にホテルやアパートが集中し、一大リゾートセンターのようだ。

住み着いたアーチストのアトリエも多い



 特に南側の入り江に沿って高級ホテルが並んでおり、旧市街まで湾に沿って大きな人の流れになっている。海沿いのカフェやコノバは、深夜までどこも賑わっている。
 旧市街の南側は、目の前のスヴェタ・カタリナ(Sv. Katarina)島に守られた天然の良好になっていて、マリーナは漁船やレジャーボートで一面埋め尽くされている。カタリナ島は緑に覆われた美しい小島で、高級ホテル(ホテル・カタリナ─Hotel Katarina)があり宿泊も出来る。旧市街南方のホテル・パーク(Hotel Park)前の長い桟橋から連絡船で渡ることができる。

ライティングした海をモチーフにしたお洒落なカフェ

ざしの明るい旧市街の南面を辿り旧市街を一周する歩道スヴェタ・クリジャ(Sv. Križa)は、マリーナが終わると激しい岩礁となる海岸線を避けて、緩やかに高度を上げていく。家並みが途切れると、海とカテリナ島の美しい眺めが、顔を覗かせる。
 この付近は隠れ家風のカフェやレストランが並ぶ、お洒落な一帯で、中でも最高のテラスとバースペースを持つプントゥリーナ(Puntulina)は一番人気だ。その途中にある郷土料理のヴェリ・ヨジェ(Veli Jože)も、いつも席が埋まっている。
 ロヴィーニは、その歴史だけではなく、今もって雰囲気はイタリアの漁村そのものだ。ヴェネチア共和国崩壊後、フランス、オーストリアなどを経て、再びイタリアの手に戻った。再度クロアチア(当時のユーゴスラビア)領となったのは、今から60年程前のことだ。町内で普通にイタリア語が通じるイストラの典型的なバイリンガル都市でもあり、イタリア語でロヴィーニョ(Rovigno)と呼ばれることも少なくない。実際今でも、首都のザグレブから遠く不便なこの街に、ヴェネチアから高速船に乗れば僅か2時間で着くのである。