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トルコを睨む聖ヨハネ騎士団の要塞都市
Rhodes
Ρόδος
ロードス
(ロードス島 −ギリシア)♦♦
Centro
Storico

港の入口を警戒する雌雄の鹿のブロンズ像

東端の都市としてトルコと対峙する町、それがロードスだ(発音はロゾスだが、日本語ではロードスと呼ばれることが多いので、それに従う)。
 ロードスは世界遺産に指定されている。他のギリシアの都市とは見た目にも明らかに異なり、またそれに値する興味深い歴史を負っている。

宮殿は大陸を睨む大要塞

 十字軍に端を発する聖ヨハネ騎士団は、対イスラムの砦として数多い功をなした最有力の騎士団であると同時に、一つの国家でもある。
 イスラム勢力に押されて後退を余儀なくされたが、その都度、クラック・ディ・シュヴァリエ(シリア)、ロードス、マルタにすばらしい砦を築き(すべて世界遺産)、戦史に残る壮絶な戦闘を繰り広げた。現在でも、領土なき国家として国連に登録されるパレスチナと同じ扱いを受けている。

深い堀を渡るアンボワーズ門への通路

 ロードスに首都をおいたのは1309年〜1522年の約200年間であり、コス島(現ギリシア)、ボドゥルム(現トルコ)までを領土とし、ロードス騎士団とも呼ばれていた。

 しかし、地中海を制覇する勢いのオスマン・トルコ帝国の領土の一部に食い込んで存在を誇示する騎士団を、トルコが見過ごすはずはなかった。

騎士団通りはフランスかスペインの中世都市そのもの


 1480年に10万人のトルコ軍を凌いだ堅守のロードス城は、1522年のスレイマン1世率いる20万人の大群に6ヶ月持ちこたえたが、ついに陥落した。
 さらにロードスは、16〜20世紀にオスマン・トルコの都市となり、次いでイタリア領となった。
 これらの歴史が、市街の風景に複雑な色彩を与えている。


旧市街の居住地域はトルコ風の街並み

は新市街、旧市街からなっている。ホテルやレストランなど、旅行者の生活の場はすべて、イタリア領時代に整備された新市街にある。
 マンズラキは紀元前から続く旧港で、聖ヨハネ教会と聖ニコラオス塔に囲まれた湾内には、観光船や漁船が行きかい、その回りをオリエンタルな市庁舎(旧イタリア総督邸)や、アゴラ、港のシンボルである3機の風車が囲んでいる。

再建された聖ヨハネ教会の遊翼の獅子は、ヴェネチア領時代の記憶

 港の入口の左右を門番のように警戒する二本の柱の上の雌雄の鹿のブロンズ像は、紀元前三世紀まで存在し、世界七不思議の一つといわれた太陽神ヘリオスの像の跡地に、イタリア領時代に作られたものだ。

 マンズラキの奥には、堀と城壁を巡らした旧市街がある。今では城壁の一部が壊されてまっすぐ城内に入れるようになっているが、港に面した海の門や、新市街と繋がるアンボワーズ門から入れば、中世の趣が強く感じられる。

トルコ風の広場の噴水


 壁の中に足を踏み入れると、ギリシアであることを全く忘れさせる別世界だ。宮殿や大邸宅は、フランス・スペインの中世都市を想起させる石の世界、また市街地はトルコの都市そのものだ。
 宮殿を始めトルコ時代に数々の建造物が破壊されたがイタリア領時代に再建され、当時の景観を髣髴とさせている。
 騎士団は7語族から構成されており、高みにある騎士団長の大宮殿から、騎士団通りに沿って各語族の館が並んでいる。
 最前線に位置した首都の宮殿は、あくまでも軍事施設であり、壮観ではあるが殺風景だ。

数多く残るモスクのアラビア文字

 城内の奥の方にあたる庶民の生活地域を、当てもなく彷徨い歩くのは面白い。迷路状に入り組んだ路地は、実際、地図を見て歩けるようなものではない。
 日常生活に不便な旧市街は、観光客向けの店やアパートになったり、または廃墟になっているところが少なくないが、それが幸いして中世のトルコ時代の面影を強く残されている。
 モスク、トルコ風の張り出した出窓、バザール風の建物、ハマム、アラビア風の噴水、建物に残るアラビア文字などが目につき、ここがギリシアであることを忘れてしまうほどだ。
 何箇所かに設けられた、分厚い城壁と深い堀を渡る通路で旧市街を抜けると、普通のギリシアの町並みになっていて、そのコントラストが面白い。

海を背にした紀元前のアクロポリス


 郊外には、ギリシア都市らしく古代のアクロポリスの遺跡がある。建造物は修復された数本の円柱があるのみだが、海に向かった崖の上からは、ロードス市街やシミ島、対岸のトルコの山々が近く望める。

 この町は、ギリシアにあるがギシリアではない。西欧とトルコが城壁内に同居する、類を見ない遺産都市だ。