"地中海,イタリア,セボルガ,セボルガ公国,seborga"
再独立を主張して国家の体裁を整える小村
Seborga
セボルガ
(イタリア)♦

タリア西端の地中海を望む丘陵地に、11〜18世紀にセボルガ公国という国が存在した。現在は、面積4.91km2、人口362人のイタリアの小さな一つの村である。
 1963年以来、この小さな村でちょっとした異変が続いている。民間人のジョルジョ・カルボーネ(Giorgio Carbone)が独自の選挙を行い、セボルガ公国の大公に選出されたのだ。
 彼はジョルジョ1世を名乗り、独立を宣言した。政府を立上げ、国旗を定め、セボルガ内でのみ通用する通貨(ルイジーノ)、切手、ナンバープレートを発行、憲法を制定した。

 セボルガは、伊仏国境に近いリビエラ海岸の都市ボルディゲーラから、山に向って10kmの台地の上にある。
 村が近づくと山中にいきなり、「旧セボルガ公国へようこそ」の看板に迎えられる。ほどなく、教会を中心に家が集まったごく普通の小さな村が見えてくる。

「公国へようこそ」という看板

人口わずか三百数十名の村の全景


 しかしまず村のマルティーリ・パトリオーティ広場に着くと戸惑うだろう。大型バスも止まれる異様に大きなスペースには、屋台や軽食ができる店が並んでいる。

大公が経営するレストラン「イル・プリンチーペ」

 そして広場奥にはレストラン「イル・プリンチーペ」、その名も大公、まさにジョルジョ1世が経営するレストランがある。
 村内の狭く階段の多い道は、ほんの10分で1周できるほどだ。短いメインストリートを進むとリベルタ広場、落ち着いた雰囲気の村の中核となる広場だ。家々にはセボルガ国旗が掲げられ、観光客を出迎える。
 細い舗道を上がっていくと、かわいいピンク色に塗られたサン・マルティーノ教会がある小広場だ。雰囲気がよいアンティークなアトリエや店が囲む、村随一のスポットだろう。
 教会脇の階段を下った村役場を通って元の広場に戻れば、これで一周だ。

町の中核となるリベルタ広場

 ところでイタリアの村なのだから、大公とは別に村長がいる。住民は、イタリアに税金を納め、イタリア国会の選挙を行い、また社会基盤もイタリアの民間会社に依存している。
 村長は、民意も考慮しながら、観光に役立ち、歴史的事実を含む町の魅力を知ってもらえるのなら、と黙認しているようだ。何とも大らかな話である。もっとも現在(2006年)の村長は、大公のいとこであるらしい。
 イタリア政府は、この動きに対し黙殺を続けている。国家としての歴史が浅く、帰属意識が薄いイタリアでは、1996年に北部同盟によりミラノなど北部地方の独立が宣言されるなど、種々の大きな問題を抱えている。恐らく人口300人程度の村にいちいち対応していてはきりがないという、現実的な判断をしているのではないか。

村一番美しいサン・マルティーノ教会

 大公の主張によれば、18世紀に旧セボルガ公国がサルディニア王ヴィットリオ・アメデオ2世に売却された際、自国領に編入した証拠文書がないので、それは単なる土地所有権の売却であり、その状態はイタリア建国時も引き継がれ、どの国家にも帰属していなかったので独立を宣言した、とのことである。
 この理屈では、どこからも相手にされないのは当然だが、むしろこの正統性のいかがわしさこそが、逆にイタリア政府の介入を受けずに済んでいる理由ではという気もする。
 ネット上で「セボルガ公国駐日通商代表部」(活動内容不記載のため詳細不明)というサイトがあり、またテレビ番組で爵位が購入可能と紹介されるなど、恐らく周囲からは、かつて流行った「ニコニコ共和国宣言」の類と同類のものと見なされているのだろう。

村中の家々に掲揚されるセボルガ旗

 今世紀になって、イタリアの法廷による、付加価値税(消費税)のイタリアへの納付拒否は可能との判断(2005年)、税関の設置(一度イタリアに撤去された物を再建、2006年)など、本格的な独立指向の動きを取り始めた。
 一方2006年には、神聖ローマ帝国王フェデリコ2世の血を引くヤスミーネ・フォン・ホーエンシュタウフェン・アンジュー・プランタジェネット(Yasmine von Hohenstaufen Anjou Plantagenet)が、正統な統治権は自分にあると主張したうえで、セボルガをイタリアに割譲するとの意向を示した。大公は、ヤスミーネの血統の正統性が確かでないと反論している。
 70歳を越えたジョルジョ1世は、最近「退位」の意向を漏らしている。独立構想が進展しないなか、欧州各国のメディアが、これらの経緯を興味本位で報じていることも関係しているのかも知れない(報道の一例:Italy誌)。