"チュニジア,アル・マハディーア,マハディア,mahdia"
細い岬の上に延びるファティマ朝発祥の町
Mahdia
ﺍﻠﻤﻬﺪﻴﺔ
アル・マハディーア(マハディア)
(チュニジア)♦♦
Centro
Storico

中海に延びるアフリカ岬(Cap Afrique)。その上を覆うように細長いアル・マハディーア(日本語でマハディア、以後日本名で表記する)の旧市街が広がる。
 マハディアは、その特異な地形のため、920年、後に北アフリカを支配するファティマ朝の都がここに置かれた。岬の入口を城壁で取り囲めば、岩場の多い岬の海岸部のおかげで町は要塞化されるのだ。ファティマ朝の首都がカイロに移った後も、経済上、重要な都市として繁栄したが、王朝の衰退後、支配勢力は何度も変わり、往時の輝きを失った。
 城壁は16世紀のスペイン軍の侵攻時に破壊され、その後トルコが再建したスキファ・エル・カーラ(Skifa el Kahla)【写真2】は町の入口の門を兼ねた要塞で、メディナ(旧市街)へは今でもここをくぐって入っていく。併設の博物館から要塞上部に上がると、メディナを一望できる。
 右手の海岸沿いは色とりどりの漁船が停泊する大きな漁港になっている。魚市場があり、その近くには魚料理を出すレストランが2軒あるが、料理のレベルは並だ。


キファ・エル・カーラからグラン・モスク前の大きな広場カディ・エン・ノアミン(Khadi en Noamine)までが、賑やかなメディナの中心部だ。狭い路地に雑貨を売る店、食品を売る店、観光客向けの土産物店、手工芸品店などが連なり、見ていても楽しい。
 所々にカフェがあり、木陰でミントティーやコーヒーを片手に談笑する男たちでどこも満員だ。
 カディ・エン・ノアミンと海との間の、およそ百メートル四方はあろうかという敷地に、大モスクが立つ。

 この先は道の両側に白い家々とチュニジアンブルーの扉が美しい、住宅街となる。人目を避けるようにヴェールを被って歩く年配の女性がいると思えば、Tシャツとジーンズで友達と楽しそうに話しながら歩く若い女性もいる。住宅街の中ほど、岬で一番高い地点に、ボルジュ・エル・ケビル(Borj El Kebir)【写真3】がある。トルコ時代の16世紀に新設された要塞で、ここからの眺めも素晴らしい。一息入れるには、海岸沿いのカフェ、シディ・サレム(Sidi Salem)【写真4】がお勧めだ。地中海に張り出した岩礁の上にオープンエアのテーブルが並んでおり、海越しに町の眺めが良い。
 アフリカ岬の近くには、ファティマ朝時代の港や城壁が残されている。
 またマハディア周辺は、ビーチが美しいことで知られており、夏にはヨーロッパから多くのリゾート客が訪れる。町の北方には5〜10kmの海岸近くは、十数件の大型リゾートホテルが点在し、警察の特別警備によりまるで租界のようになっている。しかし彼らの多くは、メディナから数キロ北のホテルとプライベートビーチだけで過ごすので、メディナはそれほど近代化されずに昔ながらの雰囲気を保っている。
 リゾートホテルの宿泊代はチュニジアの一般的なホテルの数倍以上ではあるが、メディナには小規模で簡素な宿が2軒しかないので利用価値はある。

 マハディアは海に面して開けた小さな町で、ビーチリゾートが近いこともあり、それほど閉鎖的な雰囲気はない。アラビア文字とモスクとを別にすれば、アラブの都市というよりむしろ南イタリアやギリシアの都市に近い感じすらする。気軽に訪れたい地中海都市のひとつだ。