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急速に脚光を浴びつつある古代ギシリア遺跡
Butrinti
ブトリンティ
(アルバニア)♦
ローマ劇場とヴェネチアの砦

跡と言っても、ブトリンティが完全に廃墟となったのは19〜20世紀になってからだ。しかし遺跡の核は、古代ギリシア〜ローマ時代のものである。その頃を頂点として、この町は緩やかに衰退の道を辿っていったのである。
 アルバニアの最南部はアドリア海沿いにギリシア領内に深く食い込んでいる。まさにその部分、対岸のギリシア領ケルキラ島まで僅か3kmの海峡を挟んで、ブトリンティ湖が海に注ぐ湿地帯にある遺跡がブトリンティだ(日本ではブトリントと呼ばれることが多い)。
 ギシリア人植民地であったブスロトンは、紀元前4世紀には城壁とアクロポリスを擁する主要都市として発展し、ブトリンティ湖と海とを繋ぐ水路沿いの小高い丘を中心に、内陸部との水運を睨む関所のような位置に、町は建設されていた。

森の中に埋もれるライオンゲート
 ローマ帝国支配下では、劇場が拡張され、競技場、公衆浴場、商店街、水道設備などが整備された大都市として繁栄していたと言われている。現存する遺跡の多くはこの時代のものだ。ビサンチン帝国時代には、バジリカなどのキリスト教の建物が追加された。
 その後は、各世紀ごとに支配者が入れ替わる中で町の力は衰退し、対岸のコルフ(ケルキラ)市の橋頭堡としての軍事拠点になっていった。特に14世紀から18世紀に掛けて、ヴェネチアの重要都市であったコルフを巡って、攻めるトルコ帝国との間で攻防が続いた。コルフ攻略の足場となるButrinto(ブトリント)は、度々両者の間で奪い合いの的となった。丘の頂上のギリシア時代のアクロポリスは、ヴェネチアにより砦に作り変えられた。いまここに登ると、遺跡の全景を始め、アドリア海からブトリンティ湖までが一望の元であることがわかる。
 ヴェネチア滅亡後、イオアニナに首都を置くアルバニア人のアリ・パシャの領土に組み込まれ、軍事上の意味を失ったブトリンティは荒廃した。遺跡は森に覆われ、湿地の水面に沈み、神秘的な様相を深めていった。
 しかしイタリアはまだ諦めていなかった。1939年にアルバニアを滅ぼし、第二次大戦に敗れるまで再度この地をイタリアに組み込んだ。その時の根拠の一つとして政府はこの遺跡の発掘を行った。それがブトリンティ再発見のきっかけになったのである。
 現在世界遺産に指定されているこの遺跡を目指し、ツーリストを満載したバスが次々と訪れるが、忘れられた地であるかのようなうらぶれた雰囲気はそのままだ。
周辺はブトリンティ湖と湿地帯に囲まれている
 人家も疎らなブトリンティ湖の水路の河口近くで車を止める。駐車場の前はすぐ水路になっていて、渡し舟が地元の人を運んでいる。遺跡の南側は日差しも入り明るい。木々の間に数々の遺跡が点在しているが、ローマ劇場からアゴラ、公衆浴場にかけての一帯がハイライトだ。丘の北側の森の中には、ライオンゲートと呼ばれる子供がようやく通れるほどの低く狭い門が隠されている。そして丘の頂上のヴェネチアの砦からの湿地帯の素晴らしい眺め。
 この遺跡には壮大な建築物は見当たらない。しかし森と水に返りつつある古代遺跡にロマンを感じる、心に残る場所であった。
 ブトリンティはアルバニアで最も不便な場所にある。最寄りの都市サランダからバスがあるが、サランダまでの交通の便もよくない。日本人にとっては、恐らくギリシアのケルキラ島(コルフ島)から船でサランダに渡るのが一番手軽かも知れない。またケルキラ(コルフ)市内の旅行会社が手配するブトリンティへの日帰りツアーを利用すれば、出入国や交通の心配もないので安心だ。