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「迷宮」の語源となったミノア文明の宮殿遺跡
Knossós
Κνωσσός
クノッソス宮殿
(ギリシア)♦
ひときわ目立つ入口付近の「見張り場」。公開遺跡の殆どが再建・補修されたもの。

話によれば、怪物ミノタウルスを幽閉するために作られた迷宮(ラビリンス)の宮殿と語られるが、史実は紀元前17〜14世紀頃のミノア文明の首都宮殿であった。
 神話を頼りに、英国人アーサー・エヴァンスが見事発掘した遺跡からは、約3500年前のものとは思えぬほどの、見事な調度品・装飾品やフレスコ画が出土した。
 これらは、イラクリオ考古学博物館の重要な展示品となっている。


スフィンクスに脇持された玉座。玉座とベンチは発掘時のままという。
 広大な遺跡の中心のごく一部の公開区画でさえ、100メートル四方の広さになる。水平方向の壁に加え、上下何層にも重なる立体的な構造、その複雑な構造が迷宮のゆえんだ。
 しかしクノッソスの真の偉大さは、その点にあるのではない。宮殿を中心に1万数千人が暮らしたと思われる都市を形成し、宮殿は王族の生活から、政治、産業、宗教、様々の生産や生活の施設までを併せ持った複合中核施設としての性格を帯びていた。宮殿内部には優れた上下水道が、外部には道路、港が整備された。

復元された第19室。明るく自由なミノア文明の雰囲気が感じ取れる。
 紀元前18〜16世紀に絶頂を迎えたミノア文明は、火山の噴火やギリシア人の侵攻により衰え、紀元前1350年頃に滅びたという。
 現在、遺跡で見られる色や形あるものは全て、再建された構造物かレプリカだ。しかし、崩れかけた壁や石畳から、その規模と精巧さが窺い知れる。
 クノッソスは、古代文明に興味がない人にとっては、単なる土色の瓦礫の山に過ぎない。イラクリオの考古学博物館で出土品を見学し、ミノア文明の知識を持った上で、詳しいガイドブックを手にゆっくり回るとき、初めて意味を持つであろう遺跡だ。