六助道 page 4 【廃径】

 六助沢出合~三峯鉱業所跡の沢を登る区間は、もはや道が存在せず、登山でなく遡行になってしまった。なかなか良い代替ルートがないのだが、一応幾つかのサブルートを挙げておく。

○ サブルート1<前間橋~三峯鉱業所跡>

 古い植林作業道を使う、一番安全なルート。消滅区間があるが、見通しの効く日なら問題なく行動できる。車道(上野大滝林道)の山吹沢の500Mほど手前に二連のトンネルがあり、両者の間にある小窪に前間橋が掛かっている。「中津川健康とゆとりの森整備事業」の新しい看板脇から、この窪を登るブルトーザーで均したようなやや急な作業道に入った。四駆車が何とか通れる様な荒れた道を折り返すと、万衛門倉と呼ばれる尾根上の台地に立った。広葉樹植林を登る道は、平成29年の新しい鹿柵に沿って、幾度も折り返した。造林用作業道なので態と斜面を舐めるように大きなジグザグで登るため、中々高度を稼げなかった。植林地の崩壊が登るに連れ激しくなり、所によっては新しい鹿柵も一年立たないうちに斜面と共に流失していた。ここから振り返って見る南天山は、思ったより迫力があった。倒れた鹿柵が一種のかすみ網の様な罠になっていて、引っかかったシカが狂ったように暴れていた。凶暴化したシカには危険過ぎて手が出せず、仕方なく脇を通り過ぎようとしたところ、捕まると思って尚一層暴れたため、網が偶然外れたようだった。
 尾根が近づいて谷が狭まると、作業道の九十九折れは細かくなった。作業道の両側が鹿柵の壁になっていたが、それがあちこちで倒れたり流出しているため、下手をすると人間が引っかかってしまう。そういう状態だから、本来車が通れたはずの作業道も跡形もなく流れていたりした。埋もれた鹿柵に引っかからぬよう注意しながら、それを道しるべに登るという、何ともシュールな道中であった。漸く登り着いたのが、1394独標の南東にある、六助沢右岸尾根の1260M鞍部であった。六助沢側を覗き込むと、斜面が皆伐され、伐木と崩壊と酷く荒廃し、ワイヤーの残骸が所在なく伸びていた。
 この先、森林図[24]にある鉱業所後までの古道は、伐採後の表土流失に呑まれてほぼ消えていた。道が何とか見えたのは最初の10mだけで、以後、伐木片の溜まり方で、道の雰囲気を嗅ぎ取りつつ、森林図上の経路を意識して斜めに下った。急傾斜の露岩の地点で、針金で結わえた桟橋の残骸を見た。これが途中で見た唯一の明らかな道の痕跡であった。崩礫帯の細い二次林を、伐採時の丸太くずが妙に溜まった一帯に沿って下った。その丸太くずがたまたま途切れた地点に道型らしきものを見た。ひょっとすると、道型が作る僅かな段差に、丸太くずが溜まっていたのだろうか。時折現れる滑車やトタンの廃物が、かつての徹底的な伐採の名残であった。
 鉱業所後が近づくと、道の痕跡がばらけて、さらに不明瞭になった。森林図の正規道はこの辺で一度折り返していたが、そのまま微小尾根上に付いた荒れた伐採地の踏跡を下った。傾斜が緩くなると、見覚えある鉱業所後の左俣側の敷地が見え、ほどなく倒れた廃ボイラーの地点に下り着いた。一般に正確に特定地点を狙っての下りはかなりの読図技術を要するのだが、左俣敷地は幸い横に百数十メートルの長さがあり、たとえ1260M鞍部から小窪に沿いに真直ぐ下ったとしても、敷地のちょうど南端の広場に出るし、逆に斜めに行き過ぎたとしても、左股窪に突き当たって、それに沿って下れば廃ボイラーの地点に出る。危険や道迷いの可能性が非常に少ない好ルートである。

 

⌚ฺ  六助沢出合-(25分)-前間橋-(35分)-六助沢右岸尾根の1260M鞍部-(20分)-三峯鉱業所跡 [2018.4.12]

○ サブルート2<大黒~三峯鉱業所跡>

 この道は、昭和12年ごろ日窒鉱業が拓いた鉱山道路である。岩壁を穿って造成した牛馬道は、崩れて人が歩くのがやっとの部分が多く、各所の崩壊で通行が危険になっている。恐らくニッチツによるものと思うが近年補修された部分もあったが、訪問日の時点では、高度な山岳技術を要し、一般の通行は勧められない状況だった。具体的な道筋は、埼玉県森林図[24]、鉱山付近の地質図[19]等を参照されたい。
 六助沢の鉱山道路は、小倉沢へ向かう旧道から分岐しているので、まず現在の車道から小倉沢への旧道に取り付く必要がある。大黒(ヒラ平)にあるニッチツの立入禁止の黄色い門(秩父から来て左側)を過ぎ、数十米先で戻るように山腹に取り付く金山旧道に入った。二度の折返しの後、森林公社のヒラ平造林地のスギ植林の中、小倉沢へ向かう旧道から三度目に折り返す形で、六助沢道路が分岐した。植林中の下方に廃小屋が見える辺り、踏跡が幾つか付いているので、車道の他の登り口からも登れるようだ。森林公社の赤杭を見て小尾根を回ると植林が消え、雁掛トンネル西口上の崖に付いた道をトラバース気味に緩く登った。道の崩壊を抑える鉄のバールやパイプが、土留めに打ってあった。道を塞ぐ倒木を越えると、激しい崩壊に出合い、何とか下巻きでかわした。100M直下の崖下の大黒ゲートに止めた自分の車を見ながら、今危険なトラバースに心血を注ぐ自分が居るというのも、変な気分であった。すぐに崩落した木橋があり、岩壁をへつることもできなくないが、ここは確実に一度微小窪に下ってから登り返して通過した。トラロープを張ったスラブ上の微小窪を渡ると、道はいったん落ち着きを見せた。
 しばらく山腹の退屈な道が続いた。眠くなる。拍子抜け。時々100mmほどの黒い樹脂チューブが並走した。平穏を破るかのように、大黒トンネルと六助沢のほぼ中間で神流川の左岸に入る小窪の右股が、激しく崩壊しガレていた。この窪は上方が排水溝的に施工されていて、特に左岸の岩盤のトラバースが悪かった。真剣に巻きを探せばルートはいろいろあるが、一般道としては極度に悪い。ここでまた森林公社林の植林に入った。黒チューブが相変わらず付かず離れず続いていた。道は古い石垣でしっかり補強されていて、道の真ん中に植林された40-50年生のヒノキが、長らく鉱山道として使われていないことを伺わせる。先の窪の右岸尾根を下る踏跡があり、赤プラ杭と公社の石標を見て植林が終わった。現在鉱山道路は下部が悪いので、上野大滝林道のゲートの少し先からこの小窪の右岸尾根に取り付くほうが良さそうだ。恐らく公社ではこのルートを使っていると思われるが、ただし歩いて確認したわけではない。
 ここから大きな危険箇所はなく、広葉樹の森に水平道が安定して続いた。古桟橋を通り、折れた鍬が落ちているのを見ると、特に危険と思えぬがそれほど古くない長いトラロープが張ってあった。今度は栄養ドリンクの瓶があり、この人跡の多さから通行者の多さが示唆された。地形は急峻だが、掘削した道は細くなってはいるがしっかり続いていた。鉄パイプで組んだ鋼板橋を、間を置かず続けて渡った。鉄パイプは数~10年程度、鋼板は20-30年経っている感じで、比較的最近まで道の手入れが行われていたようだ。六助沢930M付近の12M斜滝の上辺りである。急斜面の道は補強の積石で支えられていたが、積石がない箇所では崩壊が進みつつあり、要注意だった。青い被覆線を見て進むと、六助沢990M付近の8M斜滝下の左岸に入る小窪をナメになった二股の部分で渡った。そこに落ちたトタンと半ば埋まったトラロープがあった。丸い尾根状地形を回り込む所で、右上への小道を分岐した。遠望して分かる尾根状1135M付近と1155M付近の、何かの敷地らしき地点に向かうのであろう。
 いよいよ鉱山地域に入ってきた。六助沢1022M二俣の右股、左股と連続して渡った。鉱山の影響で激しく汚染し、出合に中和タンクが置かれていた沢ある。いずれも左岸が崩壊し道幅がかなり細くなっていた。上流側に堰堤工事が施された左俣を渡る地点から、上部の抗口方向に作業道が急登していた。黒い樹脂チューブがここでも道に沿っていた。インクラインのレールが落ちていたので、ここから標高1140M付近の坑道レベルまで機材を揚げたのだろうか。岩壁を掘削したこの一帯は、路盤が安定し未だに歩きやすかった。小さな尾根地形を廻り込むと、六助沢が近づき斜面の崩壊が酷くなった。ほぼ水平に続く消えかかった痕跡が鉱山道路の残骸と思われたが、極めて不明瞭で断片的だった。眼の前に三峯鉱業所跡の施設の敷地や石垣が広がるが、入り組んだ作業道や踏跡が行き交う中、断片的な鉱山道路の痕跡は辛うじて分かるかどうかという程度だった。鉱山道路は、鉱業所右股敷地跡の一番下で六助沢を渡り、左股敷地に続いている。渡沢部は全く不明瞭になっていた。よく見ると落葉に埋もれた橋脚が認められ、右岸にも石垣らしきが顔をのぞかせていた。

 

⌚ฺ  大黒-(←50分)-三峯鉱業所跡 [2018.4.12]

○ サブルート3<山吹トンネル北口~三峯鉱業所跡>

 

 登山口まで車で入れるので便利だが、危険箇所や分かり難い部分がある。天丸トンネルから埼玉側に入ると、すぐ山吹トンネルがある。その北口の小窪付近から植林中を上武国境へと登る踏跡に入る。恐らく車道に潰されてしまった広河原からの古道の残骸がこの道であろう。電光型に登って石祠のあるスミノタオを越え、上州側に入ると約30秒で野栗沢から来た道が合流する。六助越の馬道である。
 しばらく馬道に従い、初めは上州側、続いて武州側を緩く登る。宗四郎の西尾根で、下り始める馬道を見送り、水平な作業道に入る。宗四郎の南を巻く部分で、大崩壊の上端をトラロープに掴まって渡る。危険なので、できれば宗四郎山頂経由で大崩壊を巻いた方が良い。大崩壊を渡ると少し先に鹿柵があり、それに沿って進むと、自然と宗四郎を巻き終え国境に出る。鹿柵は急に谷へと下り始めるので、それに沿って下るとやがて馬道に出る。馬道はカラマツ植林を抜け、ヒノキ植林になってすぐ、六助ノ頭から南に出る尾根を保安林の看板の箇所で越える。ここから谷を真直ぐ下る。谷沿いの古道はほぼ消えており、特に崩壊気味の上部は危険なので注意して下る。谷底近くまで下ると大きな整地があり、廃棄物が散乱する三峯鉱業所跡の左股敷地となる。

 

⌚ฺ  山吹トンネル北口-(1時間5分)-三峯鉱業所跡 [2018.4.12](一部逆ルートで歩行のため時間は推定)

 

○ サブルート4<雁掛沢~三峯鉱業所跡>

 

 この道は尾根越えの労を要しながらも、晴天なら判りやすいルートである。雁掛沢側の入口は車道化されている。雁掛沢への車道入口近くにニッチツの立入禁止表示があった。この辺り、登山道であっても掲げられている掲示だが、社有地内の施設探検や盗掘目的の侵入者に手を焼いている様子で、登山者対象でないと見られるため、入らせていただいた。よってここでは、施設についての過度の報告は避けるようにする。トンネルを二つ潜り、潰れ小屋を見て折返し登ると大きな平地があった。操業当時の沈殿池跡である。その左岸を行く車道は池跡が終わると右岸に渡り終点となった。
 沢の中を登っていくうち、左岸に出てきた踏跡に乗った。鉱毒で赤味の有る沢は事業ゴミが散在し点在し、登山対象としては雰囲気が良くない。堰堤が出て来て、踏跡はそのまま左岸の崩れやすい斜面から高巻いた。さらに二段の大堰堤を越えるあたり、トロッコの線路、巨大ドラム缶、ゴムパイプなどあらゆる廃物が落ちていた。やや広く道らしくなると、沢近くに廃小屋が見えてきた。昭和三十七年に明大隊が道を訪ねた大捷坑の「事務所」跡であろう[25]。すぐ出合った割と良い水平道は、落ちていたトロッコ車両や一部に残る線路から、小倉沢の事業所までトンネルで続く軌道跡と見られた。約五十米先の小窪に掛け、辛うじて立っているトタン小屋や、屋根だけになった潰れた小屋を始め、大量の廃棄物があり、比較的新し目の電柱が曲がりながらも倒れず立っていた。その真上一〇〇米ほど上を通る雁坂峠道に立つ電柱に続くものであることは疑いない。明大隊が見た盛業時の鉱山の様子が忍ばれた。閉山後約五十年前を経過した大捷坑の坑口も、まだ明らかに残っていた。
 急に踏跡が細くなった。殆どの訪問者の行き先は大捷坑であり、この奥に行くのはニッチツ社有林を借り受けた県造林の作業者くらいだからであろうか。左岸の土の急斜面のトラバースは、踏跡が消滅しかなり危険なため、一歩ずつ切り崩して何とか通過した。以後踏跡も消え、大量の落葉に埋もれた岩だらけの沢を溯行した。時々線路やパイプが落ちてるので、往時はまだ上流に施設があったのだろう。明大隊も、「鉄パイプに沿って登った」と報告している。
 水が乏しい巨石だらけの一一〇八米二股で、支流の左股に入った。薄くなったペンキの赤矢印が両股を指しているので、ここで道が分かれているようだ。道といっても、ゴツゴツしたこの辺りは、単に沢を歩くだけである。左俣の左岸に明滅する微かな踏跡があった。まだ沢には廃物がチラホラ現れた。踏跡が消えても、ほぼ伏流となって巨石が埋める沢を行けば良いので、歩きやすいとは言えないが、確実に進むことができた。踏跡が右岸に移る辺りでナメが続き、左岸にヒノキ、右岸にカラマツの植林が見えてきた。踏跡が左岸のヒノキ植林に入って少しで一一七五米圏の二股で、両股の真ん中の小屋跡には、トタンの破片と県営林の看板が落ちていた。
 ここから植林内各方面へ薄い作業踏跡が分かれ、六助左岸尾根へ向かう正道が分からなくなった。植林作業時の痕跡を適当に繋ぎつつ右岸のカラマツ植林で高度を稼ぐうち、次第に折り返し登る弱い道型が見え初め、見失わぬよう気をつけて登った。やがて六助沢左岸尾根を一三三〇米付近で乗越した。六助沢や上武国境の展望が一気に開けた。ここまでの道は、大滝村森林基本図[26]に掲載されている。
 六助沢へは、まず鉱業所跡へ落ちる支尾根に乗るまで山腹をトラバースする。この区間、伐採のため丸裸になっており、砂のような土壌が風が吹く度にサラサラ流れている。この崩壊地を点在する切株を頼りに渡っていくスリリングな区間である。低い灌木帯と多少の樹木が残された、目標の支尾根に乗ると、集合離散する踏跡を拾いながらどんどん下る。なぜか二十本程度切残したまま、貴重なヒノキ植林が残っていた。標高1220M付近が伐採地の下限、即ち県造林六助沢50林班の下限であり、鉱山敷地の上限でもある。境界に沿う水平作業道があり、その下流側のしばらく先には崩壊した坑口らしき何かの跡がある。
 尾根の踏跡は比較的明瞭になり、1205M付近に小屋でも立ちそうな小平地があり、この辺からは様々な作業道や踏跡があり、次々と敷地が現われた。何かの設備跡、瀬戸物、瓶の破片、陶製の材料、ガラス、金属部品・配管など、敷地ごとに様々なものが残置されている。1179Mには基盤地図情報でも表示されるとてつもなく広い平地があった。鉄バイプが直角に曲がって配管されたまま残っていた。踏跡は各方向に出ていたが、尾根を忠実に下ると1153Mのコンターに沿って伸びた横長の平地に出る。ここも、ガラス、陶器等の破片が多く、諸方向に踏跡が分かれている。左方向の広い作業道は長く続いて多くの抗口に接続し、右方向はやはり様々な廃物残置がある二、三の横長台地を経由して、鉱業所跡に続いている。またこの横長平地の東端から下り始めて、途中1128M平地から来る道を合わせ、鉱業所跡の下端で六助沢からの鉱山道路に接続する道もある。どこをどう通ってもよく、周囲に注意しながら適当に下ると鉱業所跡に出ることだろう。

 

⌚ฺ  雁掛沢への車道始点-(25分)-堆積場跡奥車道終点-(10分)-大捷坑-(10分)-1108M二股-(30分)-六助沢左岸尾根1330M付近-(15分)-三峯鉱業所跡 [2018.4.12(六助沢左岸尾根から),2019.3.23(六助沢左岸尾根まで)]

 

[24]松山文彦「秩父鉱山探訪「六助」追補」(『水晶』第三巻、五~九頁)、平成元年。
[25]埼玉県『森林基本図』K03、平成元年。
[26]明治大学体育会ワンダーフォーゲル部『西上州 関東の秘境』明治大学体育会ワンダーフォーゲル部、昭和三十七年、「八班」八一~八八、「十班」九七~一〇四、「12班」一一一~一一五頁。
[27]埼玉県『大滝村森林基本図』、平成三年、其1。

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[サブルート1]車道からの入口
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鹿柵に絡まって凶暴
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作業道の完全な状態で残った部分
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去年の鹿柵がもう流され内外の区別もない
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斜面が完全に流出した柔らかい土の部分
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小刻みな電光型で六助沢右岸尾根のコルへ
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恐らく貯木場用に拓かれた尾根上
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鉱業所へ下り出す道は1分と持たずに消えた
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桟橋の残骸が唯一の明白な道の証拠
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この下りに道の気配が感じられた
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伐採した小尾根下方に鉱業所の左股跡地が
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[サブルート2]大黒の旧小倉沢道入口
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小倉沢旧道から鉱山道路が左手前に分岐
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雁掛トンネ手前への車道直上の崖を行く道
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頻繁な崩壊のたびに寸断
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ぶら下がった落下木橋
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対岸にも木橋がスラブ上に崩れ落ちている
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いったん綺麗な水平道になった
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森林公社の標石で植林地に入る
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この崩壊窪はだいぶ下から巻いた
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公社作業道らしきが小尾根を上がってきた
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岩を掘削した部分は安定良く健在
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鋼板と鉄パイプの橋が二つ続く
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土の部分は流れてほぼ消えている
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鉱口のある支窪左岸の道が消滅
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窪の上方に堰堤があった
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岩の部分では常に立派な道だ
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鉱業所が近づいた六助沢左岸の薄い道型
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[サブルート3]山吹沢源頭の植林の馬道
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スミノタオを越し一時上州側へ廻る
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宗四郎の南を鹿柵沿いに巻く作業道
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上武国境から鹿柵沿いに馬道まで下る
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[サブルート4]雁掛沢の沈殿池跡を行く
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左岸の荒れた作業道
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大捷坑の事務所跡
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軌条が残る箇所
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トロッコ車両も多数放置
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大捷坑跡の折れた電柱
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細くなった踏跡が左岸に続く
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溯行中も線路や廃物が散在
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1108M二股の両方向指す赤矢印
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左股に植林が現れた
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ヒノキ植林中の小屋跡整地
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六助沢左岸尾根の乗越
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なぜか伐り残された僅かなヒノキ植林
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鉱業所の一角で広大な敷地が次々と出現
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適当な敷地の一つから作業道に入る
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鉱業所跡地へ向かう保存状態の良い作業道