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自然と人とが織り成す奇跡の造形美
Astypálaia
Αστυπάλαια
アスティパレア
(アスティパレア島 −ギリシア)♦♦
Centro
Storico

奇跡的な造形美を見せるアスティパレアの町

々が密集するエーゲ海の西の方に、ポツンと一つ離れた島がアスティパレアだ。
 しかも西隣はアモルゴス、アナフィなどの人口が少ない島、東隣はさらに東のトルコに顔を向けたドデカニサ諸島、南はエーゲ海の秘境カルパソス島、まさに周囲100km以内に町らしい町がない孤島である。

ヴェネチア時代のクェリーニ家の城は外壁を残すのみ


 歴史の荒波に翻弄され、古代や中世に栄えた島は衰え、現在人口は僅か1000人余りと、面積の割に明らかに少ない。
 しかしそれが、観光化の波を受けず、古きよきエーゲ海の自然と暮らしを未だに守リ続けることを可能にしている。
 島全体が蝶のような珍しい形をした島で、二つの大きな塊が細い部分で繋がって、長さ18kmの島を形作っている。

二分された島は、最小幅200メートルの部分で辛うじて繋がっている

 一番細いところはわずか200メートルほどで、周辺に幾つかの小さな集落がある。その中では一番大きな、そして島で唯一の町が、アスティパレアだ。
 この町の魅力は、典型的なエーゲ海の小さな町の暮らしがそのまま感じられ、そして何と言っても、三角錐をした小山の頂上にヴェネチア時代の城を頂き、その周囲から港へと続く芸術作品のような白い家並みの造形美だろう。
 中世以降、島はイタリアとトルコとの勢力争いの常に最前線に位置してきたため、何度も帰属を変えている。
 大まかに言えば、1204年からナクソス公国(ナクソス公の任命権はヴェネチア共和国にあり、実質的にヴェネチア領)、1540年からトルコ帝国、1912年からイタリア王国、そしてギリシアに復帰したのは1948年のことだ。

町は風車の広場を軸に、丘の上の旧市街コーラと港の新市街とに分かれる


 両国のせめぎ合いの片鱗は、町の風景に残されている。真っ白に塗られたエーゲ海式の白い方形の建物の中に、大陸式の赤い瓦屋根を持った家がひっそりと混在しているのだ。それも赤い屋根の部分を白く塗りつぶしたり、建物の外壁を嵩上げして通りからは赤屋根を見えないようにしているのが面白い。

フェリーが出てしまうと、港には誰一人いなくなる

 船が港に入っても、他の島のような大騒ぎは起こらない。僅かな乗降客が散ってしまうと、あっという間に港は元の静けさを取り戻す。何も知らずに島を訪れた旅行客は、他のエーゲ海の島とは違い、何事もなかったかのように一人ぼっちで港に取り残され、戸惑うに違いない。

風車の並ぶ町の中心広場が旧市街の入口

は丘の上のカストロ周辺の旧市街と、ギリシア復帰後にできた港周辺の新市街とに分かれている。二つの白い領域は、カストロのある小山の尾根にならぶ一列の風車のあたりで、細く結合している。
 両者のバランスから中心街が形成されにくかったためか、商店が連なる通りはなく、タヴェルナやカフェは港の海岸沿い、小売店は風車の少し下の斜面に点在し、町の重要施設(スーパー、郵便局、医者など)は町の広場がある風車近辺に立てられている。


旧市街は活気を失って久しいが、典型的なキクラデスの町並みが美しい


 町の見所といえば、カストロのある旧市街だろう。まずは旧市街の入口に当たる風車のある広場を目指して登ろう。尾根上の峠のような地点なので迷うことはない。
 歩行者専用の、緩い階段となった旧道を行くのも良し、港地区の家々の間を縫う急斜面の階段を、景色を振り返って見ながら適当に登っていっても楽しい。また町を大回りに回って登る緩やかな車道(市街地を抜ける細い車道とは別)を登っていくと、一歩ごとに変わり行く町の景色を堪能できる。

簡素な礼拝堂のある一角、白一色が海に映える

 風車の広場は、まさに風の抜け道になっている峠状の地形で、反対側にリヴァディアの小集落のビーチの眺めが開けてくる。正面に聳えるカステロに向かって進んで行こう。この先は細い路地と階段の世界だ。
 この山上の迷路は、たかだか200〜300メートル四方の大きさだが、坂あり、階段あり、で難易度は高い。エーゲ海の島々は海賊の来襲を避けるためか、城自体の堅牢さより城の入口の分かりにくさを追及している感がある。

カステロに向かって一直線に駆け上がる階段

ステロ(城)への入口は、道標もなく人通りもほとんどない寂れた旧市街を徘徊しながら、自分で探すしかない。なぜなら道は細く複雑に入り組んでいて、人に聞いても説明するのが難しいからだ。
 ヒントは、旧市街に入ったらカステロの右手斜面の道を進み、左側に注意して進む。上方に急傾斜で一直線に上る階段を見つけたら、その先が行き止まりになっているのが見えるが臆せず進むことだ。行き止まりに見えた地点まで息を切らせて登って行き、その周辺の角の先まで捜索すると、まるでどこかの家の勝手口のような扉を探し当てることができるだろう。
 まさか、いやもしかして、と思って潜っていくと厚い城壁を抜けるトンネルになっていて、その先に山頂部のだだっ広いな廃墟が姿を表す。

民家の扉のようなカステロ(城)の入口

 ここは古代のアクロポリス、そして歴代の城塞があったところだが、現在の城跡はヴェネチア時代に、クェリーニ(Querini)家が建てたものだ。

城壁の鐘楼に上ると、茫々たる島の土地が見渡せる

 驚いたことに、この更地にかつて建っていた城は、迷路のような構造を持った4階建てだったいうのだ。
 20世紀に入るまで使われていたという城は、残念なことに1956年の地震で崩壊した。廃墟となった城壁内の部屋の一部には、色鮮やかな内装や壊れた家具が残っており、遠くない昔にまだここで人が暮らしていたことが感じられる。
 現存するのは、城の外壁とそれに埋め込まれた建物の一部、あと真っ白く塗りなおされた礼拝堂だけだ。

城内の廃墟の中、礼拝堂だけが今日まで維持されている

 散らばった石材の中には、古代のアクロポリスのものらしきものも見られる。恐らく何千年にも渡って石材をリサイクルしながらこの城を作ったのであろう。
 無数の貴重な古代遺跡があるギリシアだが、最近ようやく中世の遺跡にも目が向けられるようになってきた。いつの日かこの城が再建される時が来るのだろうか。
 この城跡から、木々も人家も疎らな不毛な島の、複雑な形の全体像が眺められる。

海辺のタヴェルナの、自然の真っ只中での食事

 旧市街をカステロを中心にぐるりと一周して、白い町と青い海とのコラボレーションを存分に楽しんだら、港近くの浜辺に2〜3軒あるタヴェルナで、素朴なギリシア料理を味わいたい。
 静かな海岸での食事は、まるでキャンプかバーベキューでもしているような、自然との一体感だ。
 魚、イカのフライ、タコのグリルやサラダなどが美味しく、ドルマデス、イェミステスなどの家庭風のおかず、ヤギの炒め煮など素朴な地元料理なども味わえる。

港に面した「カルロス(Karlos)」の朝食用テラス、港とカステロの眺めが美しい

 島には簡素なホテルやアパートが幾つかあるが、眺めがよい港の北側の海岸がお勧めだ。
 港越しにカステロと旧市街を望む、絵本のような風景が思うままに楽しめる。
 夕暮れに変わり行く幻想的な空の色と街灯り、朝日に金色に輝く漁港の様子、いずれも忘れがたい光景に出会えることは間違いない。

夕暮れの町は、同じ町とは思えぬ別の顔を見せる

 アスティパレアへのアクセスは、飛行機を使えば意外と簡単だ。週4便ではあるが、アテネ空港からプロペラ機で1時間のフライトだ。最近コス、レロスを経由してロドスへの便も開設されてますます便利になった。
 フェリーは、エーゲ海の島を巡る便がシーズン中で毎日1〜2便程度は寄港する。そのうちアテネのピレウス港から来るものは週4便程度、所要時間は十数時間だ。