々が密集するエーゲ海の西の方に、ポツンと一つ離れた島がアスティパレアだ。
歴史の荒波に翻弄され、古代や中世に栄えた島は衰え、現在人口は僅か1000人余りと、面積の割に明らかに少ない。 しかしそれが、観光化の波を受けず、古きよきエーゲ海の自然と暮らしを未だに守リ続けることを可能にしている。 島全体が蝶のような珍しい形をした島で、二つの大きな塊が細い部分で繋がって、長さ18kmの島を形作っている。
この町の魅力は、典型的なエーゲ海の小さな町の暮らしがそのまま感じられ、そして何と言っても、三角錐をした小山の頂上にヴェネチア時代の城を頂き、その周囲から港へと続く芸術作品のような白い家並みの造形美だろう。 中世以降、島はイタリアとトルコとの勢力争いの常に最前線に位置してきたため、何度も帰属を変えている。 大まかに言えば、1204年からナクソス公国(ナクソス公の任命権はヴェネチア共和国にあり、実質的にヴェネチア領)、1540年からトルコ帝国、1912年からイタリア王国、そしてギリシアに復帰したのは1948年のことだ。
両国のせめぎ合いの片鱗は、町の風景に残されている。真っ白に塗られたエーゲ海式の白い方形の建物の中に、大陸式の赤い瓦屋根を持った家がひっそりと混在しているのだ。それも赤い屋根の部分を白く塗りつぶしたり、建物の外壁を嵩上げして通りからは赤屋根を見えないようにしているのが面白い。
は丘の上のカストロ周辺の旧市街と、ギリシア復帰後にできた港周辺の新市街とに分かれている。二つの白い領域は、カストロのある小山の尾根にならぶ一列の風車のあたりで、細く結合している。
町の見所といえば、カストロのある旧市街だろう。まずは旧市街の入口に当たる風車のある広場を目指して登ろう。尾根上の峠のような地点なので迷うことはない。 歩行者専用の、緩い階段となった旧道を行くのも良し、港地区の家々の間を縫う急斜面の階段を、景色を振り返って見ながら適当に登っていっても楽しい。また町を大回りに回って登る緩やかな車道(市街地を抜ける細い車道とは別)を登っていくと、一歩ごとに変わり行く町の景色を堪能できる。
この山上の迷路は、たかだか200〜300メートル四方の大きさだが、坂あり、階段あり、で難易度は高い。エーゲ海の島々は海賊の来襲を避けるためか、城自体の堅牢さより城の入口の分かりにくさを追及している感がある。
ステロ(城)への入口は、道標もなく人通りもほとんどない寂れた旧市街を徘徊しながら、自分で探すしかない。なぜなら道は細く複雑に入り組んでいて、人に聞いても説明するのが難しいからだ。
20世紀に入るまで使われていたという城は、残念なことに1956年の地震で崩壊した。廃墟となった城壁内の部屋の一部には、色鮮やかな内装や壊れた家具が残っており、遠くない昔にまだここで人が暮らしていたことが感じられる。 現存するのは、城の外壁とそれに埋め込まれた建物の一部、あと真っ白く塗りなおされた礼拝堂だけだ。
無数の貴重な古代遺跡があるギリシアだが、最近ようやく中世の遺跡にも目が向けられるようになってきた。いつの日かこの城が再建される時が来るのだろうか。 この城跡から、木々も人家も疎らな不毛な島の、複雑な形の全体像が眺められる。
静かな海岸での食事は、まるでキャンプかバーベキューでもしているような、自然との一体感だ。 魚、イカのフライ、タコのグリルやサラダなどが美味しく、ドルマデス、イェミステスなどの家庭風のおかず、ヤギの炒め煮など素朴な地元料理なども味わえる。
港越しにカステロと旧市街を望む、絵本のような風景が思うままに楽しめる。 夕暮れに変わり行く幻想的な空の色と街灯り、朝日に金色に輝く漁港の様子、いずれも忘れがたい光景に出会えることは間違いない。
フェリーは、エーゲ海の島を巡る便がシーズン中で毎日1〜2便程度は寄港する。そのうちアテネのピレウス港から来るものは週4便程度、所要時間は十数時間だ。
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