最 東端の町、オートラント。オートラント海峡を挟んで対岸のアルバニアまで約80km、ギリシアにも程近い。その起源は、紀元前のギリシア人都市ヒドゥルントゥム(Hydruntum)にある。
15世紀にトルコに占領されたことがあり、それを契機に築かれた強固な城塞都市となっている【写真1】。
深い堀で守られた城壁を、堅牢なアルフォンシーナ門を抜けて、旧市街に入る。白い家々の間を縫って走る路地の両側は、レストランや商店が連なり、リゾート客で賑やかだ。大聖堂下の海沿いの旧市街の小道のレストランの雰囲気といえば、白を基調にした色使いやゆったり過ぎる時間の感覚は、まるでギリシアのタヴェルナのようだ。
海岸から少し入った町中にある大聖堂はぜひ見ておきたい。11世紀のロマネスクのプランとその大きさも見事だが、床一面を埋め尽くすモザイクは生命の木をモチーフにした宗教画で、美しさと広さとに圧倒される。
見落としてしまうほど小さなサン・ピエトロ教会は、建造されたビサンチン時代の様式をそのまま残しており、内部のフレスコ画が見事だ【写真中】。
城壁に上がると、エメラルドの美しいビーチを見渡すことが出来る【写真下】。
このあたりのサレント地方には、ギリシア系イタリア人が住んでいる。20kmほど内陸に入ったマルティニャーノ(Martignano)付近の村では、今でもグリコ(Griko)と呼ばれるギリシア語系の言葉が使われており、半島各地でギリシア語系の民謡が歌われている。
|