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輝かしい歴史を受け継ぐスペインきっての古都
Sevilla
セビージャ
(スペイン)♦♦
Centro
Storico

ヒラルダの塔からの眺め

ンダルシアの玄関口としての通過点、またはスペインで4番目の大都市。
 このようなイメージの中で、セビージャはその魅力の割りには注目度が低い都市ではないか。
 新幹線や高速道路が開通し、高層ビルが林立する一方で、アラブから受け継ぐアンダルシア文化が、むしろ色濃く凝縮されている。

大聖堂は大きすぎて正面から眺めることができない



 セビージャの発音は、スペインでもなかなか定まらないが、現地では「セビージャ」がどちらかというと多いようだ。
 「ll」の発音は、歴史的、地域的な揺れにより、スペインでもセビージャともセビーリャとも発音されている。
 さらに日本語では、スペイン語としては間違っているのだが、セビリアとしたり、さらに「ビ」を「ヴィ」と表記したりされることも多い。

新旧に市街を分けてゆったりと流れるグアダルキビル川

 セビージャという都市の名は、古代ローマ時代に既に主要都市であったときの「ヒスパリス」に由来する。
 グアダルキビル川に面して海に近いセビージャは、交通と物流の拠点として、常に繁栄を続けた。
 ゴート人の西ゴート王国、アラブ人のタイファ諸国、アルモアデ朝の首都となった。1248年にキリスト教徒のカスティージャ王国への編入後も、南部の都としての地位は変わらず、コロンブスをはじめアメリカ大陸への玄関口としてますます繁栄し、当時としては屈指のコスモポリタン都市であった。
 近世においては、海洋帝国スペインの凋落と運命を共にするが、20世紀後半の経済発展に伴い息を吹き返した。

イスラム後もムデハル様式としてアラブが受け継がれた


 セビージャの旧市街には、世界遺産に指定された中世の卓越した建造物群があり見逃せないが、一方でアラブとカスティージャが混ざった独特の雰囲気が強く残る路地を彷徨うのもまた楽しい。
 一歩足を踏み入れると、路地や建物の色やデザインの細部にわたり、他のヨーロッパの都市とは違うエキゾチックな空気が漂ってくる。他の町ではトップクラスのモニュメントが、セビージャではガイドブックにすら載らない。
 それは形あるものだけではない。インフラの一部であるかのごとく整備されたバールのネットワーク、フラメンコ、聖週間やフェリアの祭典など、アラブを継承した文化が強く根付いている。
 高度に洗練され発達した都会の方が、田舎よりむしろ強く伝統を残しているというのは、矛盾しているように思えるかもしれない。しかし伝えるべき強い特徴ある文化が、地方の農村よりむしろセビージャの方に存在している、と考えれば分かるのではないか。それに魅せられ、居ついてしまう日本人もいるようだ。

赤壁が印象的な王宮の入口

アダルキビル川の東に広がるセビージャの旧市街はさすがに広く、見て回るには少なくとも2〜3日は要する上、距離があるので徒歩で巡るのは楽ではない。車で走るにも、駐車場は常に満車で、一方通行が多い曲がりくねった道路で、正しく目的地に付けるのは困難だ。とかく大聖堂を中心に歩いて行ける範囲で我慢することになるが、いずれにせよ自分なりに作戦を立て、計画的に行動したい。


重厚な免罪の門が大聖堂の本来の入口(今は出口)

 クルーズ船が行くグアダルキビル川の広い河畔に建つ、アルモアデ朝の丸い黄金の塔(Torre del Oro)が良い目印になる。近くには、闘牛士の甲子園(?)として名高いマエストランサ闘牛場、世界遺産の一部を構成する建造物である慈善病院がある。
 路面電車の走るコンスティトゥシオン通りを挟んだ向こうには中世に貿易センターの役割をしていたインディアス公文書館があり、その脇がいよいよ大聖堂だ。
 スペイン全土の中でも名建築に揚げられ、建造に1世紀を要した巨大かつ壮麗な建物は、大きすぎて眺めても全体像が掴めないほどだ。我々が目にしやすいのは、王宮側の斜め前方からの外観だが、正面入口は北側、商店が立ち並ぶ狭いアルバレス・キンテロ通りからの方向になる(現在の観光入場では出口として使われており、訪問時の見学順と逆になるので注意)。

サンタクルス街でフラメンコ衣装を売る土産店

 重厚な免罪の門をくぐるとオレンジの中庭で、モスク時代は体を清めるのに使われていた噴水がある。聖堂内は目も眩むほどの大空間で、多くの礼拝堂や彫刻などの美術品がある。
 また鐘楼は、ヒラルダの塔(la Torre de la Giralda)とも呼ばれ、セビージャのシンボルとして有名だ。1198年にアルモアデ朝の宗主国であったムワヒッド朝(現モロッコ)の技術とデザインで作られた高さ95メートルの美しいミナレットで、モスクが壊された後も教会の鐘楼として生き延びた。
 最上階まで歩いて登れ、大聖堂の全貌を見られると同時に、大都市セビージャの素晴らしい展望台となっている。

開店準備が整ったサンタクルス街の高級レストラン

 大聖堂の南、二本の塔に守られた大きな赤い壁に、王宮(アルカサール)入口がある。もともとイスラム王の居城であったが、現存する宮殿の大部分は14世紀にペドロ1世が作らせたものだ。
 面白いのは、キリスト教治世下の建造であるのに、グラナダのアルハンブラ宮殿を思わせる素晴らしい建築や装飾は、完全にアラブ世界のものであることだ。これらはムデハル様式と呼ばれ、建築・美術などの高度文明は当時イスラム世界の方が勝っていたことを如実に物語っている。

大聖堂に比較的近い、有名なバール「エル・ブーソ(El Buzo)」

宮の外壁と接するように奥に続くのが、セビージャのもう一つの象徴、サンタクルス街だ。旧ユダヤ人街と言われるが、現在の美しい姿は異教徒追放後に住みついた貴族などが築いたものだ。
 迷路のように入り組む狭い路地に、突然現れる小さな広場。行き止まりかと思えば鍵型に抜けて、全く違った光景が広がる。そしてそのどこもが、鮮やかな外壁や嗜好を凝らした門、木々の緑や花で満たされたパティオで埋め尽くされている。


ムデハル様式の中庭が美しい「ピラトの家」

 今ではセビージャを訪れる誰もが向かう観光地でもあるため、広場の木陰や小径の脇の感じいいレストランやバールがあるが、味は悪いが値段が高いことは覚悟したほうが良い。だが、それを承知で雰囲気を楽しむのも悪くはないだろう。
 南側は王宮庭園で、王宮から切り離されて誰でも入れる市民公園になっている。さらに南には大学からマリア・ルイーサ公園にかけての広大な緑地帯になっているので、余裕があれば訪れてみたい。

「ピラトの家」のモザイク


 一方、この歴史地区から北側には、歩きつくせないほどの古い市街地が広がり、その中にムデハル様式の貴重なモニュメントが点在している。16世紀にリベラ公が建てたピラトの家が有名だ。
 ローマンやゴシックをも巧みに取り入れた華麗な美しさも去ることながら、イスラムが去って数世紀後に建造されたというのも驚きだ。
 またセビージャの文化でもある、安くてうまいバールが点在するのもこの一帯だ。バールの良し悪しには雲泥の差があり、「当たり」をつかむには情報収集が必要だろう。
 最後に現代のセビージャ、すなわち市民の生活の場を除くなら、川の対岸(西側)のトリアナ地区が良い。もともと庶民的な地域で多くのフラメンコのダンサーや闘牛士を輩出してきた地域だ。
 最新流行のファッションから、酒場や工房が並ぶ地域まで、生活の中心はすべてこちらにある。対岸の大聖堂やヒラルダの塔の眺めも美しい。