ンタクロースは実在の人物だ。空飛ぶトナカイのソリに乗って子供にプレゼントを配るというのは後世の脚色だが、本物は当時ローマ帝国の拠点都市であったこの街(当時はミラと呼ばれていた)の有名な司教アギオス・ニコラオス(英名セント・ニコラス)のことである[写真3]。嵐に襲われた船を助けたり、食料がなくなった船の倉庫を満たすなど、航海関係を中心にいくつもの奇跡を起こし当時から著名であった聖人で、貧しい家の子女に施し物をしたことがサンタクロース伝説の元になった。 司教であったニコラオスは死後、アヤ・ニコラ教会(Aya Nicola Kilisesi)に埋葬された。地中海貿易が盛んであった1087年、航海の安全を求めて自分達の守護聖人とするため、イタリアのバーリ(Bari)市の商人たちが棺を壊して遺骸を持ち帰り、 教会は5〜6世紀のバジリカをベースに原型が分からぬまでに再建・増築を繰り返されているが、荒廃の程度もひどく、整備が進められている。色褪せたフレスコ画やモザイクが往時を偲ばせる[写真1]。アギオス・ニコラオスの棺[写真2]には現在何も入っていない。その後、指など幾つかの骨の破片が残っているのが発見され、現在アンタルヤ博物館に保管されている。 |
代都市ミラ(Myra)は、現在のカレ市街から2キロの森の中にある。ミラは現在のトルコ南部で栄えたリキアの主要都市の一つで、紀元前5世紀頃に出来たと考えられており、紀元2世紀頃には独自の通貨を持つ大きな町に発展していた。アクロポリスは高い断崖の上に有り、その麓の平野部との境目に、有名なネクロポリス(死者の町、すなわち墓地)と劇場がある。断崖の随所に岩を切り出して掘られた、人がすむにはやや小さめなサイズの家々は、リキアの文化・技術水準の高さと都市の力を物語っている[写真4]。アレキサンダー大王に随行し、インドなど東方に石の加工技術を伝えたと言われているのも頷ける気がする。 そのひとつひとつの石の切り口や彫刻は、文化財といえるレベルのもので、それらが無造作に散乱している様子にこの地域の奥深さが感じられる[写真7]。現代の観光客も踏んで通る入口の敷石には、はっきりとギリシア文字が刻まれていた[写真6]。
デムレとも呼ばれる現代のカレの町は、何の変哲もない田舎町だ。しかし他にも有名なケコヴァ島のほか、幾つかのリキアの遺跡が発見されている。森の中にまだまだ未発掘の遺跡がたくさん眠っているのではないかと言う気がしてならない。
--> ANTALYA, MYRA, KEKOVA(地中海生活 −What's地中海 Resort Life "ANTALYA, MYRA, KEKOVA" より)
--> http://www.kultur.gov.tr/EN/BelgeGoster.aspx?17A16AE30572D3136407999D5EC50F898B7B095A5E1FB986(トルコ文化観光省) |