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険しいフィヨルド地形のコトル湾にあるコトルの町 |
コトルは、アドリア海南部のモンテネグロ共和国に位置する中世の美しい町で、世界遺産に指定されている。アドリア海から深い谷のように入り組んだフィヨルド地形の中、約30キロをさかのぼった湾の一番奥の山影にひっそりと佇んでおり、並外れた自然の防衛力を備えた港町である。そのたたずまいは地中海都市というよりは、アルプスの湖のほとりの村、という感じだ。湾内の小さな突起部に築かれた町は一辺が
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城壁正門
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正門内部の彫刻 |
約300mの三角形をしており、二辺は水辺に面した幅15m、高さ20mの城壁に囲まれ、残り一辺は目もくらむような断崖に面している。背後のロヴツェン山の影に位置するため昼近くになってようやく日が差し込み始める。
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時計塔 |
イリュリア人の町に起源を持つコトルは、紀元前1世紀にローマ帝国の町として建設された。11世紀のセルビア王国の海港都市として発展を始め、さらに中世のヴェネチア共和国支配下で東方貿易の中継点、海運業の拠点として最大の繁栄を迎える。産業、文化の両面で、当時の世界としては屈指のレベルを誇る最先端の都市であった。しかし喜望峰航路や新大陸の発見で東方貿易の重要性は薄れ、ヴェネチアは凋落し
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Sv. Tripun |
た。それに伴いコトルも勢いを失い、動力船の出現が海運の町コトルの息の根を止めた。
町並みは12〜14世紀の構造を手つかずで残しており、扉の鍵が町のシンボルにも使われている正門をくぐるとすぐに16世紀の時計塔のある広場がある。右手奥に進むと2本の鐘楼を擁する12世紀の聖トリプン大聖堂(Sv.Tripun)があり、小さな市内には他にいくつもの12〜13世紀の教会が見られる。それらを筆頭に、町は中世の貴重な建造物で埋め尽くされている。コトルは1667年の大地震でも大きな被害を出したが、モンテネグロに壊滅的な被害を与えた1979年の大地震は、城壁の一部を崩し大聖堂を倒壊の危機に追い込んだ。現在も修復は続いている。
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ツェティニエへと続く 「カッタロの梯子」の登り口 |
町には城壁をくり貫いた3つの入り口の
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Sv. Luka
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他、山に向かって1つの出口がある。かつて「カッタロの梯子」(「カッタロ」は「コトル」のヴェネト語)と呼ばれたつづら折の道が険しい急斜
面を登っていくのが町からもはっきりと見える。この道は中世の謎めいた山岳国家ツルナゴーラ(モンテネグロ)主教国の首都ツェティニエへと続いている。この国は強大なトルコ帝国と数世紀にわたり戦いつづけた勇猛な宗教国家で、ヴェネチア支配下のコトルからの峻険な馬車道を、唯一の海への出口としていた。そのためヴェネチア人の話すヴェネト語の「モンテネグロ」が、国名として知れ渡った。宗教も異なる世俗国家のヴェネチアとは必ずしも仲がよかったわけではないが、強大なトルコ帝国に対抗する必要に迫られ共同戦線を組んでいたのである。このつづら折の道をほんの数分登っただけでも、十分それに値する眺望が得られる。このカッタロの梯子を唯一の路として外界と繋がっていた遥か彼方の山上都市ツェティニエを、今でもモンテネグロ人は心の故郷として慕っている。
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