跡と言っても、ブトリンティが完全に廃墟となったのは19〜20世紀になってからだ。しかし遺跡の核は、古代ギリシア〜ローマ時代のものである。その頃を頂点として、この町は緩やかに衰退の道を辿っていったのである。
その後は、各世紀ごとに支配者が入れ替わる中で町の力は衰退し、対岸のコルフ(ケルキラ)市の橋頭堡としての軍事拠点になっていった。特に14世紀から18世紀に掛けて、ヴェネチアの重要都市であったコルフを巡って、攻めるトルコ帝国との間で攻防が続いた。コルフ攻略の足場となるButrinto(ブトリント)は、度々両者の間で奪い合いの的となった。丘の頂上のギリシア時代のアクロポリスは、ヴェネチアにより砦に作り変えられた。いまここに登ると、遺跡の全景を始め、アドリア海からブトリンティ湖までが一望の元であることがわかる。 ヴェネチア滅亡後、イオアニナに首都を置くアルバニア人のアリ・パシャの領土に組み込まれ、軍事上の意味を失ったブトリンティは荒廃した。遺跡は森に覆われ、湿地の水面に沈み、神秘的な様相を深めていった。 しかしイタリアはまだ諦めていなかった。1939年にアルバニアを滅ぼし、第二次大戦に敗れるまで再度この地をイタリアに組み込んだ。その時の根拠の一つとして政府はこの遺跡の発掘を行った。それがブトリンティ再発見のきっかけになったのである。 現在世界遺産に指定されているこの遺跡を目指し、ツーリストを満載したバスが次々と訪れるが、忘れられた地であるかのようなうらぶれた雰囲気はそのままだ。
この遺跡には壮大な建築物は見当たらない。しかし森と水に返りつつある古代遺跡にロマンを感じる、心に残る場所であった。 ブトリンティはアルバニアで最も不便な場所にある。最寄りの都市サランダからバスがあるが、サランダまでの交通の便もよくない。日本人にとっては、恐らくギリシアのケルキラ島(コルフ島)から船でサランダに渡るのが一番手軽かも知れない。またケルキラ(コルフ)市内の旅行会社が手配するブトリンティへの日帰りツアーを利用すれば、出入国や交通の心配もないので安心だ。 |