"地中海,キプロス,猫の聖ニコラオス修道院,アギオス・ニコラオス・トン・ガトン,agios nikolaos ton gaton"
猫と修道女たちの共同生活
Monastery of Ágios Nikólaos ton Gáton
Μονή Αγίου Νικολάου των Γάτων
猫の聖ニコラオス修道院
(キプロス)♦
回廊は猫の遊び場

道院いっぱいの200匹の猫達。静かな森の中にある、猫の聖ニコラオス修道院(英名アギオス・ニコラオス・トン・ガトン、ギリシア語名モニ・アギウ・ニコラウ・トン・ガトン)については、興味深い言い伝えがある。
 紀元325年、ローマ帝国のコンスタンティヌス大帝の母、聖へレナは、キプロス島のクリウム(現在のクリオン遺跡)近くの岬に修道院を建立するとき、蛇の多さに困り、シリアやパレスチナから沢山の猫を運ばせた。

小さな田舎の修道院の礼拝堂
 一日二回、ベルを鳴らすと猫達が集まり、食事が与えられる。彼らは食べ終わったあと、蛇を捕まえに行っていた。修道士と百匹以上の猫達との間で、そんな共同生活を営まれていたと記録されている。そしていつしか修道院の名前には「トン・ガトン(猫達の)」という枕詞がつくようになった。
 16世紀の地震で修道院は崩壊したが、当時のトルコ帝国治世下で省みられることもなく、猫達は島のあちこちに散っていったという。
 人々の記憶の彼方に過ぎ去っていた修道院は、1983年、二人の修道女の決意により再開された。彼女らが一組の猫を連れてこの地を訪れた時、この場所は蛇がうごめく草地に戻っていたという。
 根気よく手入れを続けた結果、修道院の建物と果樹園のある中庭が美しくよみがえった。現在、数名の修道女と200匹の猫達が、ここで幸せに暮らしている。

固めたコンクリにも猫の足跡が
 修道院は、レメソス(リマソル)の南10km弱の静かな場所に位置する。キプロス第二の都市の喧騒は、アクロティリ塩湖の一帯に入るやいなや消え去り、嘘のような静かな世界となる。
 干上がった塩湖との境界も定まらぬ中、ただ何もない平原の道なき道を、かすかな車のわだちを頼りに南下していくと、やがて岬が近くなると低い森が現れ、ささやかな修道院の入口に着く。
 入口付近の敷石や、こじんまりした礼拝堂は、修復を受けそれなりに整備されてはいるものの、新調された控えめなモザイクがなければ、修道院というより農家のような感じすらする。
猫達は食事を与えられたお礼に、蛇を駆除するという
 宗教生活の場であるので、当然内部への立ち入りはできないが、小さな回廊の一角まで入れるようになっており、そこから回廊や中庭で想い想いに寛ぐ、沢山の幸せな猫達に出会うことができる。
 珍しい訪問者に気がつくと、修道女が「アゴラ(商店)」の鍵を開けてくれる。小さな店の中には、十字架や聖画、それに土地の産物などちょっとした土産物が売られている。恐らく僅かな売上が、寄付以外に現金収入のない修道女達にとっては貴重な、猫達の餌を買う資金になるのであろう。
 都市から遠くない海岸近くにありながら、修道院は森に囲まれた奇跡的に静かな環境にある。その秘密は、この一帯がキプロス共和国ではなく、英領アクロティリ・デケリア(Akrotiri and Dhekelia)であるからだ。
 1960年のキプロス独立時、島の97%はキプロス共和国として独立したが、残り3%が英領アクロティリ・デケリアとして宗主国のイギリスに留まった。
 ただしその時結ばれた条約により、英国は軍事活動以外は認められておらず、国境管理、一般市民の生活、交通・運輸など、植民地としての機能は全く果たしていない。だから基地の敷地内を除いては、実質的にはキプロス共和国の一部であるかのように訪れることができる。
 再開して漸く軌道に乗り始めた修道院が、再び長い歴史を刻むことができるよう願ってやまない。

※通例に習い、このサイトでは英領アクロティリ・デケリアを、国(植民地)とはせず、キプロスの一部として扱いました。