"地中海,クロアチア,コルナティ,kornati"
白と青の幾何学的な風景が心を捉える
Kornati
コルナティ
(コルナティ諸島 −クロアチア)♦♦
真っ白な三角錐を連ねたコルナティ島(ピシュケラ島・オトチェヴァッツより)

ロアチアの紹介写真に良く使われる、一面の青い海に撒き散らしたような、円錐型の白い小さな島々の光景。それは、自然のものとは思えない幾何学的な造形物である、コルナティ諸島の空撮写真だ。
 その美しさが再発見され、現在、諸島全体が国立公園に指定されている。
 2009年8月現在、コルナティ諸島への公共交通機関はない。夏期に周辺のリゾート地からツアー船が出るが、どの町からも遠く往復に時間を費やすため十分見ることができない。

6人乗りのクルーザーは綺麗で快適
 漁や農作業で、観光で、コルナティ諸島を訪れる者は、自家用またはレンタル船を利用するが、今回はドゥギ島の最南端の町サリでボートをチャーターし、日帰りで希望する場所を回ってもらった。船を出してくれたのは、地元で旅行者用アパートと釣り船を提供している、トミスラヴ・チャリッチ(Tomislav Čarić)氏だ。

舵を取るトミスラヴ
 トミスラヴのクルージング受付ホームページ(http://www.tome.hr/)を見て、数ヶ月前にメールで交渉し300ユーロ(3名分の乗船料・燃料・昼食・入園料込)の料金を定め、前金としてトミスラヴ氏の口座(ザグレブ・プリヴレドナ銀行)に100ユーロを振り込んでおいた。言葉は、英語で問題ない。
 全長8.2メートル、最高速度24ノットのクルージング船は、サリ港を9時ごろ出発し、20分ほどで一番大きいコルナティ島の北西端付近に到着する。
コルナティ国立公園入口の表示
 ここがコルナティ国立公園の入口で、前売り入園券で一艘あたり150クナ(約2600円)が必要で、予め入園券を近くの町で購入しておく必要がある。今回はトミスラヴが事前に手続きを済ませているので、公園の表示がされた海域に、そのまま侵入する。


 円錐型の小さな島が転々と浮かぶ

っ白に見えていた島は、近くで見ると白い鋭角の岩で覆われた石灰岩の塊のような島々で、夏枯れした黄色い草と、点在するオリーブやイチジクなどの低木だ。
 ところどころに廃屋や、もしかしたら使われているかもしれない古びた小屋の姿が見られる。


 コルナティ島の大部分は、放棄された放牧地

 しかし、さえぎるものもない炎天下、水気のない島の上には、生気が感じられない。
 それでも、以前は島全体で羊の放牧が行われていたという。野焼きが盛んに行われた結果、まさに焼け跡のような、現在の風景が出来上がったといわれている。
 面白いのは、島の上に古代遺跡の印であるかのように描かれた、石壁の幾何学模様だ。直線、方形、円形、組み合わせ図形など、様々なサイズと形がある。人の生活が合った時代、これらは羊の放牧地、オリーブやイチジクの栽培地、居住地などの境界として、実際的な役割を果たしていたらしい。

 抽象画のようにデザインされた島の風景


 船は最初の目的地、レヴルナカ(Levrnaka)島の入り江に入った。目的は、ヴェリ・ヴルフからの眺めとビーチとだ。
 桟橋近くに一見、旅行者とビーチ利用者用のレストランがある。桟橋から覗き込む海底は透明度が高く、エメラルドグリーンの海はまるで絵の具を溶かした色水のように美しい。


 ヴェリ・ヴルフ(レヴルナカ島)から、トヴァルニャック、大シロ、コルナティの島々

 ヴェリ・ヴルフ(Veli Vrh)とは、大きい山を意味する。コルナティ諸島ではどの島でも、一番高い山には大抵この名前がつけられている。
 山頂への道はないが、見晴らしの良い石灰岩の台地を適当に登るだけなので必要ないとも言える。
 始めは少し草があり歩いた跡を探しつつ登るが、すぐにゴツゴツした石の台地を歩くようになる。港と反対側の入江の白い小石の美しいビーチが目に入ってくる。

ヴェリ・ヴルフ(レヴルナカ島)から、ボロヴニック、マナ、小ラシップ、大ラシップの島々を望む

 ヴェリ・ヴルフ(レヴルナカ島)から見たコルナティ島のトゥレタ要塞


 十数分も登ると、標高118Mの山頂だ。最初に、南東の方角に重なる小さな三角推の眺めに目を奪われる。北東方向には大きなコルナティ島が横たわる。
 コルナティ島もまた三角推を継ぎ合わせたような形状をしているので、白いスポンジを見ているような不思議な印象だ。
レヴルナカ島のロイェナ・ビーチは、岩のない貴重なビーチ
 眺めを楽しんだら、ロイェナ・ビーチ(Uvala Lojena)まで一気に下り、そのまま水に飛び込む。海で過ごす一日は、いつでも海に入れるよう水着を初めから着ているのだ。
 岩のない泳ぎやすいビーチはこの海域では貴重で、無人の離島であるにもかかわらず、ヨットやクルーズ船で乗りつけて楽しむ人で、賑わいを見せている。

乗客を満載したツアー船が到着した
 真っ白い海底を背景に、常に形を変えながら揺れ動くイワシの群れが面白い。一日いても良いくらい快適な場所だが、次へと移動する。
 ちょうどそのとき、50人以上はいるだろうか、鈴なりの客を乗せたツアー船が到着した。団体に巻き込まれてしまうと、のどかなビーチもいっぱいになってしまうだろう。ちょうど良いタイミングだった。

遺跡のような中世のピシュケラ港

 この先は小さな島が多く、地元の船長トミスラヴですら海図と首っ引きで、右へ左へと島の間を縫うように進む。
 途中、目の覚める水色やエメラルドグリーンの浅瀬があり、通過するとき、あたり一面が輝く明るい色に変わった。

対岸の大パニトゥラ島には、ヴェネチア砦と現代のピシュケラ港とがある

シュケラ(Piškera)港に、クルーザーは近づいていった。向かい側の大パニトゥラ(ヴェリカ・パニトゥラ、Velika Panitula)島との間は、川かと思うほど狭い海峡になっていて、波が静かなので昔から港として使われている。
 中世のヴェネチア領の時代、ピシュケラ側には漁民の村が、大パニトゥラ側にはヴェネチアの砦があり、漁民から税の徴収を行っていた。残っているのは、砦跡の石組みと、再建された漁民の村の教会だけで、村は完全に消滅してしまった。

無人のピシュケラ島には教会だけが残された

内部は綺麗に維持され今でも使われている

 鍵のかかった教会内部を窓から覗くと、飾り付けの木の葉もまだ新しい。先祖をこの島の漁師に持つ者によるのか、今でも手入れがされ実際に使われている様子が感じられる。

まるで湖のように見えるラヴサ島の天然の良港
 現在の港の中心は、対岸の大パニトゥラ島側に移った。ACI社の道の駅ならぬ海の駅のような、給油、食事、商店、宿泊などを提供する複合施設であるピシュケラ港が開設され、航海中の旅行者の便宜を図っている。ピシュケラ側には一軒のレストランが開かれている。
 港からオトツェヴァッツ(Otocevac)へは、30〜60分で登ることができる。特段の難所があるわけではないが、道がない荒地をハーブや潅木と岩との間を縫って、方向を見定めながらの登りになるので、登山経験があった方が登りやすいだろう。

オトツェヴァッツ(ピシュケラ島)の頂から見る、南に連なる白い島々の群れ

 標高128メートルの山頂からは、遥か彼方まで続く小さな白い島の列の大展望が得られる。隣のコルナティ島の、月世界のように真っ白な大地も深い印象を与える。大パニトゥラ島との間に横たわる、明るい水色の海峡が箱庭のようだ。

片側が鋭く切れ落ちた小パニトゥラとラヴサのクルーネ(崖)
 大パニトゥラ島のヴェネチア砦を見送り、数十メートルの高さで海に落ちる崖を持つ島々を眺めながら進む。
 大ラシップ(Rašip Veli)島、マナ(Mana)島の崖は特にすさまじく、地図を見ると島の半分を無理やり消し去ったような極端な切れ落ち方をしている。
 クルーネ(Krune)と呼ばれるこれらの崖は、コルナティという諸島名の語源になったとの説もある。

小さな港ヴルリェの素朴な小屋掛けの食堂でランチ 田舎の小さな集落の漁港のような雰囲気

 船は大きくカーブを切り、コルナティ島のヴルリェに向かった。
 国立公園内で最大の集落だが、年間を通じた居住者はいない。訪れた夏の時期、航行する船の客を当てに2〜3軒のレストランやミニスーパーが開かれ、リゾート客用のアパートに客が入り、小さな集落の様だった。

雨の降らない気候を生かし干イチジク作られている
 繋がれていたロバは、オリーブやイチジクの収穫など、農作業のために連れてこられたのだろう。
 船主の案内で、知り合いらしい食堂に入る。パンとワイン、トマトと野菜のサラダ、そしてサバの開きのグリル。大皿に盛って出された料理を、好きなだけ食べさせる、何とも豪快な離島らしい食事だ。
 タイセイヨウサバという日本のサバと近縁種に当たる別種で、環境が違うせいか、身が締まって味が濃くおいしい。
 ランチの後、コルナティ諸島で一番の旧跡、トゥレタ要塞とゴスペ・オド・タルツァ(Gospe od Tarca)教会に向かった。

庭木だけが残る、石壁で囲われた住居跡
 コルナティ島は石壁の遺跡が特に多く、中にはその形から「本」などのニックネームがついたものもあり、次々と現れる造形物を見ているだけで飽きない。途中のヴルリェ近くのこの廃墟は、周辺と対照的に四角く囲った石壁の内部に青々と木が生えている。かつて羊飼いの住処があったのだろう。

コルナティ島の南斜面は一枚の大きなキャンバスのよう 無人島に立つ商店への道しるべ

海辺に近い中世の教会。周囲は草地が広がるばかりで建物一つない。
 教会下の小さな桟橋に着いた。クルーザー一艘分しかないため、ツアー船では上陸できないが、この船なら問題ない。
 2分ほど緩く登ると歩くと綺麗に維持された小さなゴスペ・オド・タルツァ(Gospe od Tarca)教会がある。周囲に全く人の気配はない無人の荒野に、唯一つポツンと立つ教会。何とも不思議で感動的な光景だ。
 その後ろに廃墟となったさらにビサンチン様式の古いバジリカの残骸があり、中世に建て替えられたものらしい。当時は、この教会を必要とする人数がこの地に暮らしていたと考えられている。

海上から見上げたトゥレタ要塞
 教会から左手にゴツゴツした岩山を数分登ると、標高58メートルのテーブル状の岩の高台にトゥレタ(Tureta)要塞跡がある。古い部分は6世紀頃に作られたらしい。
 眺めが大変よく、岩と草で一面に覆われた荒野のなか、ところどころに人が住んでいた頃の名残の木々の区画が残るたコルナティ島の大地が、見渡す限りに広がる。海や周囲の島々の眺めも雄大だ。

トゥレタ要塞から見るコルナティ島は、以外にもまっ平らだ

 桟橋を出て、島の沿岸を船で進むと、船舶旅行者に対する道しるべと店の宣伝とを兼ねて、無人の島に商店やレストランの看板が建っていた。
 帰り道、テラシュチツァ自然公園内のカティナ(Katina)島の入江に碇を下ろし、ボートの舳先をジャンプ台に海に飛び込んだり、無人の島に上陸したり、トミスラヴや同行者たちと楽しい時間を過ごした。

トミスラヴ・チャルニッチ氏(名刺をクリックでリンク)