ロアチアの紹介写真に良く使われる、一面の青い海に撒き散らしたような、円錐型の白い小さな島々の光景。それは、自然のものとは思えない幾何学的な造形物である、コルナティ諸島の空撮写真だ。
全長8.2メートル、最高速度24ノットのクルージング船は、サリ港を9時ごろ出発し、20分ほどで一番大きいコルナティ島の北西端付近に到着する。
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っ白に見えていた島は、近くで見ると白い鋭角の岩で覆われた石灰岩の塊のような島々で、夏枯れした黄色い草と、点在するオリーブやイチジクなどの低木だ。
それでも、以前は島全体で羊の放牧が行われていたという。野焼きが盛んに行われた結果、まさに焼け跡のような、現在の風景が出来上がったといわれている。 面白いのは、島の上に古代遺跡の印であるかのように描かれた、石壁の幾何学模様だ。直線、方形、円形、組み合わせ図形など、様々なサイズと形がある。人の生活が合った時代、これらは羊の放牧地、オリーブやイチジクの栽培地、居住地などの境界として、実際的な役割を果たしていたらしい。
船は最初の目的地、レヴルナカ(Levrnaka)島の入り江に入った。目的は、ヴェリ・ヴルフからの眺めとビーチとだ。 桟橋近くに一見、旅行者とビーチ利用者用のレストランがある。桟橋から覗き込む海底は透明度が高く、エメラルドグリーンの海はまるで絵の具を溶かした色水のように美しい。
山頂への道はないが、見晴らしの良い石灰岩の台地を適当に登るだけなので必要ないとも言える。 始めは少し草があり歩いた跡を探しつつ登るが、すぐにゴツゴツした石の台地を歩くようになる。港と反対側の入江の白い小石の美しいビーチが目に入ってくる。
十数分も登ると、標高118Mの山頂だ。最初に、南東の方角に重なる小さな三角推の眺めに目を奪われる。北東方向には大きなコルナティ島が横たわる。 コルナティ島もまた三角推を継ぎ合わせたような形状をしているので、白いスポンジを見ているような不思議な印象だ。
岩のない泳ぎやすいビーチはこの海域では貴重で、無人の離島であるにもかかわらず、ヨットやクルーズ船で乗りつけて楽しむ人で、賑わいを見せている。
ちょうどそのとき、50人以上はいるだろうか、鈴なりの客を乗せたツアー船が到着した。団体に巻き込まれてしまうと、のどかなビーチもいっぱいになってしまうだろう。ちょうど良いタイミングだった。
この先は小さな島が多く、地元の船長トミスラヴですら海図と首っ引きで、右へ左へと島の間を縫うように進む。 途中、目の覚める水色やエメラルドグリーンの浅瀬があり、通過するとき、あたり一面が輝く明るい色に変わった。 |
シュケラ(Piškera)港に、クルーザーは近づいていった。向かい側の大パニトゥラ(ヴェリカ・パニトゥラ、Velika Panitula)島との間は、川かと思うほど狭い海峡になっていて、波が静かなので昔から港として使われている。
港からオトツェヴァッツ(Otocevac)へは、30〜60分で登ることができる。特段の難所があるわけではないが、道がない荒地をハーブや潅木と岩との間を縫って、方向を見定めながらの登りになるので、登山経験があった方が登りやすいだろう。
標高128メートルの山頂からは、遥か彼方まで続く小さな白い島の列の大展望が得られる。隣のコルナティ島の、月世界のように真っ白な大地も深い印象を与える。大パニトゥラ島との間に横たわる、明るい水色の海峡が箱庭のようだ。
大ラシップ(Rašip Veli)島、マナ(Mana)島の崖は特にすさまじく、地図を見ると島の半分を無理やり消し去ったような極端な切れ落ち方をしている。 クルーネ(Krune)と呼ばれるこれらの崖は、コルナティという諸島名の語源になったとの説もある。
船は大きくカーブを切り、コルナティ島のヴルリェに向かった。 国立公園内で最大の集落だが、年間を通じた居住者はいない。訪れた夏の時期、航行する船の客を当てに2〜3軒のレストランやミニスーパーが開かれ、リゾート客用のアパートに客が入り、小さな集落の様だった。
船主の案内で、知り合いらしい食堂に入る。パンとワイン、トマトと野菜のサラダ、そしてサバの開きのグリル。大皿に盛って出された料理を、好きなだけ食べさせる、何とも豪快な離島らしい食事だ。 タイセイヨウサバという日本のサバと近縁種に当たる別種で、環境が違うせいか、身が締まって味が濃くおいしい。 ランチの後、コルナティ諸島で一番の旧跡、トゥレタ要塞とゴスペ・オド・タルツァ(Gospe od Tarca)教会に向かった。
2分ほど緩く登ると歩くと綺麗に維持された小さなゴスペ・オド・タルツァ(Gospe od Tarca)教会がある。周囲に全く人の気配はない無人の荒野に、唯一つポツンと立つ教会。何とも不思議で感動的な光景だ。 その後ろに廃墟となったさらにビサンチン様式の古いバジリカの残骸があり、中世に建て替えられたものらしい。当時は、この教会を必要とする人数がこの地に暮らしていたと考えられている。
眺めが大変よく、岩と草で一面に覆われた荒野のなか、ところどころに人が住んでいた頃の名残の木々の区画が残るたコルナティ島の大地が、見渡す限りに広がる。海や周囲の島々の眺めも雄大だ。
桟橋を出て、島の沿岸を船で進むと、船舶旅行者に対する道しるべと店の宣伝とを兼ねて、無人の島に商店やレストランの看板が建っていた。 帰り道、テラシュチツァ自然公園内のカティナ(Katina)島の入江に碇を下ろし、ボートの舳先をジャンプ台に海に飛び込んだり、無人の島に上陸したり、トミスラヴや同行者たちと楽しい時間を過ごした。
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