レンタカーオフィスのスタッフの強い勧めに従い、気ままな旅でロヴィーニへと足を向けてみます。埠頭に着いてみると、イタリア風の街が目の前に忽然と現れます。海に浮かんだ町の威容には驚かされます。
第二次大戦に敗れたイタリアは、イストラ半島の真珠とも形容されるこの美しい街をユーゴスラビア(現在はクロアチア)に譲りました。
数は少なくなりましたが、ここでは今なおイタリア人が住み、イタリア語が使われています。
Top; Rovinj, Bottom; Rovinj
アドリア海の小島の上に造られた町ロヴィーニは、3〜5世紀ごろ開かれたといわれています。 その後スラブの入植により発展しましたが、13世紀にはヴェネチア共和国の支配下に入り、イタリアの町として発展してきました。
海に面した入り口を持つカラフルな家屋は、まさにヴェネチアをほふうつとさせるものです。イストラでも有数のリゾート、ロヴィーニのもう一つの顔は昔ながらの漁師町です。 一軒一軒の家の前につながれた小船が、それを物語っています。
18世紀に島と本土との間を埋め立てて作られた広場には、青果物を中心とした青空市が所狭しと立ち並んでおり、この半島では良く見られる風景です。
面積が限られた小島の上の町は、本土と連絡される以前は、上方へと発展するしかありませんでした。 町の中心部では、4階〜5階建ての狭間に、入り組んだ石畳の路地が伸びています。
Top; Rovinj The second; Rovinj The third; Rovinj Bottom; Rovinj
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