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「地中海生活」
2001年 夏号 ( 5月12日発行 通算第22号 )
MAP & TRAVEL
THE MAP AROUND ALMERIA
本文に登場する町
その他の主な町
スペイン全図
アンダルシア東部(アルメリア県・グラナダ県)について
概要
歴史
旅行の季節
旅行日数
ホテル
ことば
その他の見どころ
スペインの情報、参考書籍など
概要
スペインのアンダルシア地方は8県からなり、ここで取り上げる東部のグラナダ、アルメリアの2つの県は、山がちな地形のため産業、リゾート開発ともあまり進んでおりません。日本では、旧グラナダ王国の首都グラナダ以外はあまり注目されていませんが、豊かな自然と古くからの伝統を残す暮らしは、アンダルシアの中で随一といえます。
海岸部で唯一の都市はイスラム時代の古都アルメリアであり、他にいくつかの小さな町があります。モハーカルはそんな中で際立った特長を持つユニークな町です。海岸部にはリゾートホテルが並んでいますが、海を見下ろす丘の上に昔のままの姿を伝える13世紀以来の古い町が残っています。キリスト教徒の攻撃を受け町は衰退していきましたが、その素晴らしいシチュエーションが見直され20世紀半ばから回復し現在も人が住みつづけています。
一方山間部の村は、基本的にはアンダルシア中部の有名な白い村々と同じ美しさを持っていますが、小さい村が多いため見栄えという点では一歩譲るかもしれません。
地理的にかつての首都グラナダに近いため、グラナダ県内のシエラネバダ山地南斜面の渓谷沿いには、北アフリカから移住してきたかつての住人ベルベル人の子孫がその伝統を守りながら暮らしている地方があり、アルプハラスと呼ばれています。石積みの壁と平屋根を有する混み入った立方体の家々、直方体の塔と小ぶりな聖堂からなるムデハル様式の教会(モスクの転用)に特徴付けられる町並みは、現在のベルベル人の居住地域であるモロッコの山間部を旅した人であれば、その共通性に驚くことでしょう。
夏季の過ごしやすい気候とあいまって、アンダルシアの中でも珍しいローカル色に引かれる欧米人の人気を博しています。マラガの奥の山中に佇むアクサルキア地方と並び、アルプハラスは最もイスラム時代の伝統を残す地方であり、スペイン王によりイスラム的、アラブ的な言語、風習が固く禁じられた後にも、建築・生活様式や食べ物などにその影響を色濃く残しています。
またシエラネバダ山地はスペイン最高峰のムルアセン山(3478M)を含む急峻な山地であり、スキーや登山の対象としても有名で、その南麓の町ランハロンは天然水「ランハロン」の産地として知られています。
東部アンダルシアは、まだ西洋化されていない素朴な暮らしと自然に囲まれた楽天地といっても過言ではないでしょう。
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歴史
アンダルシアは旧来イベリア人が居住していたと言われていますが、紀元前10世紀頃からのフェニキア人(中東の海洋民族)の植民活動により歴史時代の幕を開けました。さらにギリシア人、カルタゴ人などが植民活動を行い、また土着のイベリア人もその影響を受け都市国家を発展させました。カルタゴがアンダルシア支配を強めつつあった紀元前2世紀、ローマ帝国に敗れたことにより、アンダルシアはローマ帝国の一部となりました。帝国の庇護の元、農産物や鉱物に富み、気候に恵まれたアンダルシアは大いに発展し、ラテン語社会が成立しました。イタリア以西で最も発展した地域になったとすら言われています、
ローマ帝国滅亡後、5世紀には北方からきたゲルマン人のヴァンダル族がこの地を占拠(これによりアラブ人がアル・アンダルスと呼ぶようになった)、その20年後にはさらに西ゴート族がヴァンダル族を追撃し定着し、ローマの文化を受け継いで国を維持しました。
内乱で故郷のシリアを追われた勢力は新天地を求めて北アフリカ、さらにスペインに進出しました。北アフリカの原住民であるベルベル族を従えて、711年に上陸したアラブ人は、きわめて頭脳的な戦略を駆使し、敵を味方に加えながらわずか4年間でスペインのほぼ全土を征服しました。アンダルシア東部地域は山岳地帯であるため、平原を故郷とするアラブ人は住み着かず、山の民であるベルベル人が入植しました。その後のアンダルシアの発展は目を見張るばかりですが、東部地域はあまり発展せず、アラブ終焉のときを迎えます。
カスティージャとアラゴンの二大王国は共同でグラナダ王国を海から攻め、海岸部諸都市の最後にアルメリアが1489年に陥落、1492年グラナダも兵糧攻めにより陥落しました。その後ムハマンド12世はアルプハラスに退き、1494年にはモロッコに亡命しました。
キリスト教支配下に入り、イスラム教徒は苦しい生活を強いられました。1567年のハマム禁止令に対するアルプハラスの反乱、そして鎮圧され北部スペインへの強制移住がありました。さらに1609年のアラブ、ベルベル人追放でついに多くの人々はアフリカへ難民となって渡らされることになったのです。
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旅行の季節
アンダルシアは年間を通じて天候が良いですが、特にアルメリアからヴァレンシアにかけての晴天率の高さは、地中海地域の中でもトップクラスです。夏は大変暑く雨のない時期ですが、アルプハラスは標高が高いため30℃前後とアンダルシアの中では快適な方です。また海岸部は気温上昇が緩やかであり内陸諸都市よりは過ごしやすいと言えます。秋から初冬にかけてはやや雨が多くなりますが、真冬でも海岸部では平均気温15度以上で比較的温暖であり、ヨーロッパ各地から避寒客が訪れます。
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旅行日数
モハーカルは小さな町で半日で一周できるほどです。またアルプハラスには興味を引く小さな村が数多くあり、じっくり見れば1週間はかかるでしょう。2〜3の代表的な村をさっと見るだけなら周辺の都市からの日帰りも可能です。
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行き方(交通)
スペインに一番早く着けるのは、ルフトハンザ航空です。また夜行便ならエールフランスです。
最寄の空港は、モハーカルへはアルメリアまたはムルシア空港、アルプハラスへはグラナダ空港、マラガ空港、アルメリア空港となります。
なおスケジュールは2001年夏期のものです。
モハーカルへ
ルフトハンザ航空利用(毎日)
東京10:15→フランクフルト14:50 乗継 フランクフルト15:35→バルセロナ17:35 乗継 バルセロナ19:05→アルメリア20:20 アルメリアからバス約2時間→モハカール
エールフランス航空利用(毎日)
東京21:55→パリ4:25 乗継 パリ7:15→マドリッド9:20 乗継 マドリッド11:00→アルメリア12:35(イベリア航空)
アルプハラスへ
ルフトハンザ航空利用(毎日)
東京11:25→ロンドン15:40 乗継 ロンドン17:15→マラガ20:50 マラガからバス約3時間→アルプハラス
エールフランス航空利用(毎日)
東京21:55→パリ4:25 乗継 パリ7:15→マドリッド9:20 乗継 マドリッド10:35→グラナダ11:35(イベリア航空)グラナダからバス約3時間→アルプハラス
アルプハラスの交通
バスの運行はありますが本数は少なく、タクシー、レンタカーの使用が効率的です。
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ホテル
山岳地帯ではありますが静かなリゾートとしても知られているため、数は多くはありませんがホテル・貸し別荘などが見られます。
海岸部やグラナダなどの都市部に宿を取り、車やバスで訪ねるのも方法です。
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ことば
スペイン語が話されます。ホテルや観光地などでは英語が通じることもあります。
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ここで紹介しなかったモハーカル、アルプハラス近郊の見どころ
アルプハラスには他にも数多くのひなびた山村があります。コスタ・デル・ソルに続く海岸部にはサロブレーニャ、アルムニェーカルなどの歴史ある町が点在しています。
アルメリアは県庁所在地でもありますが、現在でもアラブ時代の城壁を残す美しい町です。その奥には陶芸の伝統を今に伝える崖の上の町ニハールがあります。
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