界線の町。幾つもの顔を持つ都市、アルルはそう呼んでよいかもしれない。
アルルが町として大きく発展したのは、ローマ帝国時代の紀元前46年だ。 カエサルは、当時未開の原野だったガリア(フランス)に奥深く分け入る幹線道路の役割を担ったローヌ川の河口の小さな町をアレラーテとして整備した。
歴代ローマ皇帝が逗留し、キリスト教公認後は公会議が19回も開かれるなどしたことから、小ローマとまで呼ばれたいたが、そのころをピークに、町は戦乱のたびに傷んでいった。
480年のゴート人の襲撃で往時の輝きを失い、730年にはアラブのイスラム帝国領に組み込まれた。フランスとアラブとの戦いを経て、9世紀には町は廃墟になったという。 12世紀にプロヴァンス領となってから、海運の町として復活を遂げ、再度興隆期を迎えた。
海運の衰退と、カマルグの出現による河口の移動とで、近代に入り町の役割は完全に終わった。止めを刺したのが、第二次大戦時のドイツ侵攻である。連合軍の空爆を受け、町の多くの部分は破壊された。 それでも貴重な歴史地区は守られ、世界遺産として2000年前の繁栄を今に伝えている。
和国広場からフォロム広場に掛けての狭い範囲に、輝かしい建造物が集積している。町の物質的、精神的なシンボルは、サン・トロフィーム(St-Trophime)教会だ。12世紀頃のロマネスクの聖堂のファザードは、ギリシア神殿を髣髴とさせるデザインで、聖人達の見事な立像が信徒を迎えている。付随する素晴らしい回廊も見逃せない。
もう一つの壮大な遺産は、やや楕円形をした円形闘技場だ。建築当時の紀元1〜2世紀頃、2万人を収容するイベント会場として使われていたが、座席部分を補修しながらも現役で使われているというから驚きだ。闘牛をはじめ、様々な催しがここで行われている。何も開催していない時でも、最上段の観客席から、ローヌ川や町の展望が楽しめる。闘技場の観客席の上からニョキっとのびる塔は、数少ないイスラム帝国時代の建造物で、ここが要塞として使われていた時のものだ。 さらに再建された古代劇場が並んでいる。こちらは、中世に石材がすべて他の建築物に転用されてしまい、2本の柱のみが2000年の時を越えて残された。現在見られる観客席は、すべて近年再建されたものだ。
共和国広場が公の広場なら、旧市街の真中にあるフォロム広場(Place du Forum)は市民の広場だ。古代ローマ時代には恐らくショッピングセンターだったのだろうが、現在も露店やカフェが並ぶ憩いの場になっている。ゴッホの有名な「夜のカフェテラス」はここで描かれたが、その風景は今も変わらない。 この近辺の路地裏には、洒落たショップや、美味しくて手ごろなレストランが集まっている。また古代フォロムの地下回廊、クリプトポルティクスが見学できるので、興味があればよってみたい。長辺が数百メートルはあろうというコの字型大きさの地下倉庫で、紀元前1世紀にこれほど大規模な倉庫を必要としたアルルの繁栄振りが窺える。
ころで、アルルの女と言えば、ドーデーの「風車小屋だより」のなかの短編で、その後、戯曲、オペラ、そしてゴッホの絵にも登場するモチーフだが、白いシャペルの上に黒いドレスの民族衣装を着てレースなど3種の白い布をショールのように纏う、どこか気高く彫りの深い顔立ちの美女、というのが平均的なイメージだ。 --> http://www.ville-arles.fr/
--> http://www.tourisme.ville-arles.fr/(アルル市観光局) --> Nord-Pinus(地中海生活 −Hotels) |