"地中海,イタリア,ローマ,roma"
かつて「永遠の都」と呼ばれた都市
Roma
ローマ
(イタリア)♦♦
Centro
Storico

夜遅くまで賑わうトレヴィの泉

遠の都、と言われるまでに繁栄したローマ帝国の首都ローマは、一度は滅び、そして今また蘇った。ローマは、5世紀頃までの古代ローマ、再建された14世紀に始まり現代へと続くローマ、そしてヴァチカン市国を中心とする神政ローマの3つの部分で構成されている。

 紀元前754年、パラティーノの丘に居を構えるロムロス王が、周辺の6つの丘の部族を平定して、7つの丘の町として治めたのが始まりであると言われている。数百年後には人口150万人を数える、世界帝国にまで発展したことは良く知られている。



凱旋門と幾つかの神殿が辛うじて残る古代ローマの中心部、フォロ・ロマーノ

 古代ローマの心臓部は、地方都市にまで成り下がった千年間は牧草地として利用されていたに過ぎず、素晴らしい古代のモニュメントの数々は採石場と化して失われていった。近代に入ってその価値が見直され発掘が始まると、地下から次々と当時の町が蘇ってきた。それが古代都市遺跡群のフォロ・ロマーノ(ローマ公共広場)、フォリ・インペリアーリ(歴代皇帝たちが建設した公共広場)だ。

古代ローマのショッピングセンター、トラヤヌス帝の市場

 フォロ・ロマーノには、数々の神々の神殿や、カエサルをはじめとする歴代の指導者たちを祭った神殿、裁判所などの建物跡が所狭しと並び、またその隣で発掘が進行中のフォリ・インペリアーリには、2000年前のものとは思えぬ6階建ての立派なショッピングセンターを見学することが出来る。ワイン、野菜などの食料品や、花、織物などが販売されていたという。

古代のイベント会場、コロッセオ

 その先のコロッセオは、5万人以上を収容したといわれる巨大なイベント会場跡だ。古代遺跡からは少し離れて現代の都市の真中にあるパンテオンも素晴らしい保存状態のドーム型神殿で、初代イタリア王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の墓所でもある。殆どの装飾は略奪されてしまったが、紀元120年の建造物が大建築がそのまま残っていること自体、信じがたい。

真実の口があるサンタ・マリア・イン・コスメディン教会

世から現代にかけて作られた再建ローマの歴史も、数百年に及ぶ立派なものだ。中核を為すのはナヴォナ広場を中心とする蛇行するテヴェレ川に囲まれた地域だ。フォロロマーノを覆うように聳える白亜の大建築物ヴィットリアーノは、初代イタリア国王に捧げられた記念堂で、最上部からの眺めが素晴らしい。テヴェレ川沿いのサンタ・マリア・イン・コスメディン教会は真実の口で有名だが、8世紀の美しい建物やモザイクもまたぜひ見ておきたい。一帯は、風格のある黒ずんだ古い家並みの間に、生活感の漂う市、古代遺跡、トレヴィの泉などのバロック芸術が点在する、ローマの全てが凝縮された素晴らしい地域だ。パンテオンもその一角をなしている。

テヴェレ川と、川中にあるティベリーナ島


 市の北部は比較的新しく、ポポロ広場、スペイン階段などの名所近くは商業地域となっている。テルミネ駅近くの美しい外観を持つサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂も、ヴァチカンが直接管轄するローマで最も重要な聖堂の一つだ。
 一方南部はカピトリーノの丘から続く中世の緑地帯が残っている静かな地域だ。同じくヴァチカン管理下にあるサンジョヴァンニ・イン・ラテラーノ教会、古代ローマのカラカラ浴場跡などが見所だ。
 テヴェレ川の向こう側は、トラステヴェレ(テヴェレ川の反対側の意)と呼ばれ、サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会を中心に入り組んだ路地の活気ある庶民の街で、街歩きが楽しい。

朝市がたつカンポ・ディ・フィオーリは、花でいっぱいになる


ヴァチカン遠景

後に神の代理人が治めるローマ、即ちヴァチカンについて触れぬわけにはいかない。ローマ中心部からはテヴェレ川を渡り、元々ハドリアヌス帝の霊廟として作られたサンタンジェロ城を右手に見ながら進むとサンピエトロ広場の入口で、そこが国境だ。この先のヴァチカンは別の国となるので、そちらのページに譲ろう。
==>ヴァチカヌム(ヴァチカン)

 「ローマは一日にして成らず」、つまりローマのような大都市の建設は簡単に出来るものではない、というのが本来の意味であるが、2760年の歴史をもつローマは、観光ですらできれば最低数日は掛けるに値する偉大な都市だ。