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桟橋周辺
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険しいフィヨルド地形のコトル湾の中で、最深部の南斜面に位置する小さな村がペラストである。人口わずか545人の村には、数件の売店とたった1軒のホテル兼レストランのみがある。しかし中世においてはヴェネチアの
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廃屋となったヴィラからの眺め
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海軍と海運業に大きな貢献をした村であることは、そこかしこにあるヴェネチアの象徴・サンマルコの獅子の像と歴史的建造物を見れば明らかだ。
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今も残るヴェネチアの象徴、サンマルコの獅子
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旧・海軍学校(現・海事博物館)
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日当たりのよい水辺や斜面にはヴェネチア風の立派なヴィラが立ち並んでいるが、傷みの激しいものがほとんどだ。温和な気候と風光明媚な土地柄がヴェネチア海軍の船長たちに気に入られ、彼等の隠遁の地として好まれていた。廃屋になったヴィラの2階へと上がり、かすかな極彩色の装飾模様が残る壁に開いた窓からコトル湾の景色を眺めれば、往時に思いをはせることができる。波止場のすぐ脇の海事博物館は、かつて海軍学校だったときの威容を保っている。勇猛で名高い最強の海軍を誇ったヴェネチア海軍の士官たちがここから巣立っていった。ロシア海軍の創設期に彼等が訓練を受けたのもこの学校であり、多くのロシア海軍将校を輩出している。
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大聖堂の鐘楼
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高い鐘楼を持つ教会も小さな村に3つもあり、山の上を通る国道から見下ろす村の風景は、コトル湾を背景にして絵のように美しい。数百メートル沖あいに隣り合った2つの小島が見える。ゴスパ・オド・スクルピェーラ(Gospa od Skrpjela、イタリア名マドンナ・デッロ・スカルペッロ教会 、Madonna dello Scarpello)とスヴェティ・ジュルジュ(Sveti Đurđ)である。ゴスパ・オド・スカルペッロは、「岩のマドンナ」の意味であり、中世に作られた人工の島の上に立つ教会である。船乗りたちが航海から無事戻るたびに岩を投げ込んでいったものがやがて島になったと言い伝えられている。教会の内部は彼等の寄進した貴重な宝物で埋め尽くされている。教会へはツアーで訪問することができる。スヴェティ・ボルデは、島そのものがベネディクト会の修道院になっている。 中世を通じてコトル湾は山側からトルコ帝国の圧迫を受けつづけていた。一部の都市はトルコの手に落ちることもあったが、ペラストは
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ペラストと、「岩のマドンナ」、聖ジュルジュ修道院
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ヴェネチア海軍の要衝として一度も陥落することは無かった。1797年、ヴェネチア共和国が崩壊したときのショックは計り知れない。教会ではミサが執り行われ、サンマルコの旗が祭壇の下に埋葬された。衰退の一途をたどる村がわずかな活気を取り戻すのは歴史地区に指定され修復が始まったごく最近のことである。
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岩のマドンナ(Gospa od Skrpjela)
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