「地中海生活」 2000年 春号 (2月12日発行 通算第17号 ) | MAP & TRAVEL |
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イストラについて |
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イストラ地方(イタリア語、英語でイストリア)は、アドリア海の最深部に突き出たイストラ半島全域を含む地方であり、クロアチア、スロヴェニア、イタリアの3国にまたがっています。
海岸部の町は中世以来長くイタリア(ヴェネチア共和国)に属したため、スラブの国であるにもかかわらず、イストラの沿岸地方は例外なくイタリア風の美しい町並を残しています。特に北イタリア海岸部の漁村は、イタリア本国ではごく一部を除きことごとく開発されてしまっており、小島や小さな岬の上に築かれた中世イタリアそのままの雰囲気は大変貴重です。しかもその地形的な特徴から、どの町も絵になる風景を際限ないまでに生み出しています。
最終的にこの半島がイタリアの手を離れたのは1947年のことなので(トリエステ市のみがイタリアに返還)、現在でもイタリア語を理解する人は多く、イタリア語の新聞が発行され、公の表示もクロアチア語とイタリア語との2カ国語併記になっているところがあります。
車で1時間で横断できるほどの小さな半島ですが、場所によってかなりの雰囲気の差があります。オーストリア領時代に発展したトリエステ(イタリア)、リエカ、オパティヤなどの半島の付け根にある諸都市、コペル(スロヴェニア)、ロヴィーニ、プーラなどヴェネチア領時代に発展した半島西側のイタリア風の諸都市、パジン、ブゼットなどスラブの伝統を受け継ぐ山間部のクロアチア人都市等にはっきりと色分けされます。
海岸線の多くの地域でリゾート開発が進められつつあり、非常に手軽に観光旅行することができます。実際地理的に近いイタリア、ドイツ人にとっては、有名なリゾート地であり、夏にはリゾート客が詰めかけます。日本人にとっては未開の地ともいえるイストラですが、西欧から最も近く、美しい町、おいしい海の幸が揃い、環境整備も進んだイストラは、本当に手軽に訪問することができるお勧めの場所といえます。
イストラは地中海がもっとも北に切れ込んだ位置にあり、この半島周辺は有史以来、いろいろな方向からさまざまな民族がやってきました。
土着の民族はイリリア人であるといわれていますが詳細はわかっていません。紀元前6世紀前後からギリシア人の植民活動が始まりましたが、本格的に支配したのはローマ帝国です。紀元9年に全域を帝国に併合し、パレンティウム(現ポレッチ)、ポレンシウム(現プーラ)等を建設します。
しかし395年に帝国が分裂すると、北方から侵入するスラブ人、アドリア海沿いに勢力を伸ばすビサンツ帝国(ギリシア)を始め、さまざまな勢力の支配をかわるがわる受けます。
811年にヴェネチアが建国され、海運国家として中東に進出をはじめると、半島西部に都市を形成し徐々に影響を強めていきます。以後近代まで、ヴェネチア人とスラブ人の責めぎあいが、果てしなく続くことになります。おおむね海岸部、特に西海岸はヴェネチア、山間部から西部はスラブ勢が確保しつづけました。さらにそれ以外の勢力(ビサンツ、ハンガリー、オーストリア等)も支配者としてこの争いに加わりました。
1797年にヴェネチアが滅びると一時的にフランス、続いてオーストリアが支配し、半島基部のトリエステ、リエカなどに産業を発達させました。しかし半島部はほとんど影響を受けることは有りませんでした。第一時大戦でオーストリアが敗れたことにより、1918年、イストラはイタリアに復帰します。しかし第二次大戦でのイタリアの敗戦により再度この半島の大部分を失い、交渉の末1954年、トリエステ市だけがイタリアに復帰することが許されました。
1991年のクロアチア、スロヴェニアの独立により半島のコペルからピランまではスロヴェニアに、あとの大部分はクロアチアに属することになり、現在の国境が確定しました。
なおイストラを含む旧ユーゴスラビア(特に歴史、民族)については1996年増刊号に詳細な記事が有ります。
夏は比較的天候が安定し、気持ち良く晴れる日が多くなっており、旅行のトップシーズンです。ただアルプスに近いため、気温は最高でも30℃を少し超えるくらいまでしか上がらず、また夕立などもみられ山岳性の気候の特色もあわせもっています。
また春・秋も比較的天候は安定しており、気温も快適な過ごしやすい季節です。
冬の冷え込みはそれほど厳しくありませんが、天候は晴れたり曇ったりで安定しません。また雨の少ないこの地域としては比較的降水量の多い季節です。
イストラ地方は一番長い部分でも長さ80kmに満たない半島であり、車で移動すればあっという間です。ただ海岸部、山間部とも美しい町も多く、最低4〜5日は滞在するほうがベストです。主要な町を回るだけなら1日、さらっと見るだけなら2日間でもまわることができます。
クロアチアが独立し、観光開発が盛んになってからまだ日が浅いため、リゾートホテルは意外と少なく、イタリア等と比べるとどうしても質が落ちます。また混雑期では当日夜には宿が取れないこともあり得ます。ただし民間の貸し部屋(日本でいう「アパート」を一日単位で貸すもの)はかなりあるのでまったく泊まれないことはないと思います。
イストラの楽しみ方は、少なくとも夏であればホテルライフを楽しむというよりは、自然を楽しむというものになります。食事さえたいていはオープンエアで食べます。そのためあまり気になりません。
基本的にはクロアチア語が使われます。またイタリア時代の名残で、町の表示などにはイタリア語がよく見られます。他にもイタリア語(イタリア語放送が受信できる)、ドイツ語(第二次大戦前の公用語、現在でも観光客が多い)、英語(最近学校では英語教育に力を入れている)など、個人によって、第二外国語的なものを持つ人も多く、クロアチア語がわからなくても、いろいろ話しかけて見ると、一つくらいは通じることはよくあります。
クロアチアでは、見事なローマ劇場が今に残るプーラ、美しいブリユニ島、東岸の都市ロブラン、リゾート都市オパティヤ、スラブ人山岳都市ブルセッチ、ブイェ、ブゼット、グロジュニャン、ラビン、パジンなど、数多くの見所が有ります。
またスロヴェニア領内にもピラン、イゾラ、コペルの3つの美しい都市があります。
1996年増刊号として、クロアチアを含む旧ユーゴスラビアの歴史に関するページを作りました。
比較的なじみの薄いこの地域について、さらに理解していただければと思っています。
旧ユーゴスラビアの歴史 |