「地中海生活」 2000年 夏号 ( 5月12日発行 通算第18号 ) | MAP & TRAVEL |
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エリチェについて |
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シチリア島は、ローマ共和国以来の長い歴史を持つイタリア本土とは異なり、北はノルマン、南はアラブ、東はギリシアと、さまざまな文化の支配を受け、それらが混ざり合った独特の雰囲気を持つことで知られています。
エリチェはシチリアの最西部に位置し、ギリシアよりもアラブの影響が強い地域になります。
平野部の俗世界を離れ、孤立して聳える海抜751mのサン・ジュリアーノ山の山頂に位置しており、遠方からは聖所のようにも、また要塞のようにも見えます。城跡からは、シチリア島西部から遠くアフリカのチュニジアまでを見渡す、大変すばらしい眺望を得ることができます。また海にも大変近く、港湾都市トラパーニが足元に見られる様もまた興味深いものがあります。
町は中世そのままの石の世界をよく保存しており、騎士が出てきそうな独特の雰囲気をもっています。地中海の強い日差しの中で、明るく乾いた存在感を示しています。
華やいだ都市の少ないシチリア西部における、格好の拠点になるでしょう。
原住民エリミ人の聖地を制圧して、紀元前8世紀ごろ、中東のフェニキア人の移民により開かれたこの町は、ついでギリシアに支配権が移り、エリュスと呼ばれ、さらにローマ帝国に占領されました。紀元後数世紀を経てようやくギリシア正教が広まるまでの間、常にこの町の最高点にある城跡は、古代の神を祭る神殿でありつづけました。今も残る城跡の土台の一番古い部分は、紀元前8世紀頃のものであるといわれています。
その後この町は歴史の表舞台に上がることなく、他の町同様に、ビサンチン、アラブ、ノルマン、フランス、スペイン、ナポリの支配を受け、現代のイタリアに受け渡されました。中世以降、この町は山の名前を取り「モンテ・サンジュリアーノ」と呼ばれてきましたが、ファシスト政権のナショナリズムの中、古名の「エリチェ」に戻されました。また、現存する町の建造物の多くは、11世紀にノルマン人によりカトリックがはじめて持ち込まれた以後のものです。
夏は地中海性の気候で毎日晴れた暑い日が続きます。春・秋・冬は曇りや雨の日もありますが、冬の間も極端には冷え込まず大陸ほどは雨が多くありません。この町は周囲に比べひときわ高い山上にあるため気温が5℃程度は低く、焼付くような暑さの夏のシチリアの中では、過ごしやすいリゾートといえるでしょう。
エリチェは小さい町なので、観光は1日で十分可能です。また落ち着いた静かな保養地ですので、周りの海や大地の景色を楽しみながら数日過ごすのも良いでしょう。
ここを観光拠点として数日滞在し、シチリア西部の名所を車で日帰り観光するのにも便利です。
日本からエリチェに行くには、ローマまたはパレルモ空港を経由してトラーパニ空港に飛ぶことになります。現在日本からローマまたはパレルモ空港へのノンストップ便がないため、さらにその他の空港を経由する必要があります。トラーパニ空港からエリチェまでは約23km、タクシーが利用できます。
またレンタカーを運転する場合は、パレルモ空港から約90kmと便利な距離にあります。
なおスケジュールは2000年夏期のものです。
小さな町なのでホテルは多くありません。ここで紹介した「ホテル・エリモ」は雰囲気もよく値段も手ごろ(セミスイートでONシーズン約30万リラ)なためお勧めです。
全般にシチリア西部(パレルモおよびアグリジェントよりも西の地域)は、ホテルが少ないためあらかじめ当てをつけていたほうが安心です。
広く活動するにはイタリア語が必須ですが、高級ホテルのフロント、観光レストラン、ブティック、観光名所などでは英語も通じます。またごく簡単なイタリア語ができれば、買い物、食事などでは全く不自由ありません。ただしせっかくの郷土料理を味わうには料理素材の単語帳などがあったほうが便利です。
ほぼ完全に残されたギリシア時代の神殿が、東へ約40kmのセジェスタに残っています。また南に42kmでアラブ人都市マルス・アッラーに起源を持つマルサラに着きます。マルサラ酒の産地として知られています。