「地中海生活」
2001年 秋号 ( 8月12日発行 通算第23号 )
MAP & TRAVEL
THE MAP AROUND ALBEROBERLLO
本文に登場する町
その他の主な町
イタリア全図
プーリア州(アルベロベッロ近郊)について
概要
歴史
旅行の季節
旅行日数
行き方
ホテル
ことば
その他の見どころ
イタリアの情報、参考書籍など
概要
プーリア州はアドリア海に面したイタリア南部のとても細長い州です。また南端においてはイオニア海をギリシアと共有しています。そのため歴史的に常にギリシアの支配ないし影響を受けており、今に残るその風情がこの地方を特徴付けています。またオリーブなどの地中海農業の盛んな地域として知られており、海の幸とあわせ、食を中心とした生活の豊かさではイタリア有数といわれています。
州都のバーリを始め、アドリア海沿岸には中世に海運・貿易等で栄えた都市が並び、その後背地には温暖な気候に恵まれた豊かな農村地帯が広がり、オリーブ畑とが続きます。またプーリアは歴史的にいろいろな民族の影響を受けてきており、同じ州内、時には隣町同士でも全く違った個性を持っており、この多様性が特色となっています。
北部には山が海に迫り自然美にあふれたガルガーノ半島があり、またここにはキリスト教の2つの重要な聖地、すなわち大天使ミカエルが降臨したモンテ・サンタンジェロ、現代の奇跡ピオ神父ゆかりのサン・ジョバンニ・ロトンドがあります。中部にはバーリ、トラーニ、モルフェッタ、モノポーリなどの中世に栄えた港湾都市とアルベロベッロ、アルタムーラ、ビトント、マルティナフランカ、オストゥーニなどの個性的な内陸都市があり、イオニア海には歴史都市から工業都市へと脱皮したタラントがあります。また南部にはアッピア街道の終点としてローマ時代から現代まで常にギリシアへの窓口の役割を果たしつづけているブリンディシ、スペイン時代の見事なバロック都市レッチェ、異国情緒ただようオトラント、ガリポーリなどがあります。
おいしい食べ物、豊かな自然、そしてギリシア、ノルマン、ドイツ、スペインなどに影響を受けた歴史遺産、このすばらしい風土に見せられて虜になる日本人も多く見られます。知名度が低いため数は少ないですが、いったんプーリアを知った人は研究者のみならず、料理人から貿易商、旅行業、そして一般市民に至るまでファンになり、中には住み着く人がでてくるほどです。
日本においては、世界遺産のアルベロベッロのみが知られていますが、ぜひプーリアの農村でゆったりと過ごす日々を体験してみてはいかがでしょうか。
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歴史
現在のプーリア州の地にはかつてアドリア海の反対側のアルバニアと同じく、イリュリア系の民族(アプリ族、メサッピ族)が住み独自の文化を持ち都市を築いていたといわれています。紀元前8世紀ごろからギリシア文化の発展と共に、彼等の土地不足、また各都市間の抗争などのため新天地を求める人々が、続々と近隣各地にギリシア人都市を建設していきました。プーリア州では、ギリシア本国に近いイオニア海に面したタラス(現タラント)が最初のギリシア人都市として作られました。続いてカレポリス(現ガリポーリ)、ヒドロトゥム(現オトラント)などへ勢力を拡大しましたが、紀元前272年ローマに敗れ、イリュリア人と共にローマ共和国の一部となります。当時の文化・経済的中心は依然としてギリシアや中東でしたので、ローマにとってギリシアへの入り口であるプーリア州は重要な地域でした。
政治的にはローマ帝国後いろいろな民族がこの地を支配し、ローマを始め北方からの影響を受ける時代が続きました。一方プーリア中部から南部は6世紀以降ビサンツ帝国の支配下にあり、また南端部(現レッチェ県)のギリシア人地域では常にギリシア語が使用されていました。そのため特に両者の境界に当たる現在のブリンディシ県、タラント県内ではイタリア的な町、ギリシア的な町が混在する大変興味深い様相を示しています。
1071年、北ヨーロッパからノルマン人が進入して南イタリアとシチリア一帯を占拠し、一大強国を作り上げました。ギリシアのビサンツ帝国は1155年に一時はプーリア全域を奪還しましたが軍事力にまさるノルマンは直ちにギリシアを破り、これ以後ギリシアなど東方勢力は本格的にイタリアに進出することは二度とありませんでした。
ついで支配したのはドイツのジュヴァーベン(スヴェーヴォ)の領主、ホーエンシュタウフェン家でした。特にフリードリヒ(フェデリコ)2世はこの地を良く治め、彼の名声は現代にまで伝わっています。その後イタリア南部は一つの王国となり、中世にはスペインの影響下におかれます。レッチェなど、この地域に多い美しいバロック都市はスペイン時代に作られたものです。また1480年にはイタリア半島で一番東に位置するオトラントがトルコ軍に占領される事態も発生しましたが、概ね政治的には安定した時代が続きました。
1860年のサルデーニャ王ヴットリオ・エマヌエーレ2世による併合によりイタリアの一部となっています。
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旅行の季節
プーリアの夏は日中は30℃を越えて暑くなりますが夜には涼しくなり、雨もめったに降らないためリゾートには最適のシーズンです。ただし内陸部を中心にときには気温は35℃以上に上がります。見学主体であれば春・秋も日中に快適な気温となるため良いかと思います。12月から2月にかけては南イタリアといえどもかなり冷え込むのでこの季節の旅行には冬支度が必要でしょう。
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旅行日数
アルベロベッロは小さな町で半日で一周することは可能です。例えば近隣の農村地帯のホテルやアグリツリスモの農家に宿泊し、アルベロベッロを始めとするプーリアの町をめぐるのも良いでしょう。プーリアは見所が大変多く、ガルガーノ半島からマリーナ・ディ・レウカ(いわゆるかかとの先のところ)まですべて回ると最大で2〜3週間はみたほうが良いですので、気に入ったところだけを選んで回るのが良いでしょう。またとなりのバジリカータ州のマテーラにも近く車で1時間ほどの距離にあります。
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行き方(交通)
プーリア州の主な飛行場には、バーリ空港、ブリンディシ空港があります。北部のフォッジャにはフォッジャ空港があります。いずれもローマまたはミラノ空港乗換えとなります。またローマからバーリまで特急列車利用で4時間40分で行くことができます。
なおスケジュールは2001年夏期のものです。
バーリへ
アリタリア航空利用(月土)
東京13:00→ローマ18:25 乗継 乗継 ローマ20:55→バーリ21:55
エールフランス航空利用(毎日)
東京21:55→パリ4:25 乗継 パリ7:00→ミラノ8:40(アリタリア航空) 乗継 ミラノ9:30→バーリ11:05(アリタリア航空)
ブリンディシへ
アリタリア航空利用(月土)
東京13:00→ローマ18:25 乗継 ローマ21:25→ブリンディシ22:35
エールフランス航空利用(毎日)
東京21:55→パリ4:25 乗継 パリ7:00→ミラノ8:40(アリタリア航空) 乗継 ミラノ11:00→ブリンディシ12:35(アリタリア航空)
プーリアの交通
プーリア州は主要な町の間に鉄道網が整備されており、活用できます。また道路も整備が進んでおり、効率的な旅行にはレンタカーが最適です。
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ホテル
ビーチリゾート客は少ないため、トップシーズンでもごった返すことはありませんが、逆にホテルの件数も少なく、結果的に取りやすいかどうか何ともいえません。農家を改装したアグリツリスモタイプの宿や、郊外のヴィラタイプのホテルが比較的多く、市街地に良いリゾートホテルを見つけるためには下調べが必要です。
ただしガルガーノ半島は例外で夏はビーチで混みあい観光地の様相を呈しています。
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ことば
イタリア語が話されます。ホテルや観光地などでは概ね英語かドイツ語が通じます。アルベロベッロは極端に観光化された町で、日本語が通じる店もあります。
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ここで紹介しなかったプーリア州アルベロベッロ近郊の見どころ
近辺の町としてはバロックの町マルティナフランカ、立派な大聖堂を抱く丘の上の白い町オストゥーニがあります。
さらにその周囲には、中世の旧市街を擁するバーリ、断崖上の旧市街を持つ小さな町ポリニャーノ・ア・マーレ、内陸部の古い町オーリア、輝かしい歴史を持つタラント、洞窟都市で有名なマテーラ、城壁に守られた町アルタムーラなど多くの個性的な町があります。
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