「地中海生活」
1998年 冬号 ( 11月12日発行 通算第12号 )
MAP & TRAVEL
THE MAP OF COTE D'AZUR
本文に登場する町
その他の主な町
フランス全図
コート・ダジュールについて
概要
歴史
旅行の季節
旅行日数
行き方
ホテル
ことば
その他の見どころ
フランス全般の情報、参考書籍など
概要
プロヴァンス、コート・ダジュールなど、南仏の地中海沿岸地域は、フランスと地中海とが混ざり合った最高のリゾートとして、世界中に名をはせていることはご存知でしょう。
特にコート・ダジュールは、フレンチ・リビエラ(フランス領のリビエラ−リビエラとはリグリア海に面した風光明媚なイタリアの海岸の名称)とも呼ばれるように、イタリアンテイストで彩られたフランスで一番陽気なリゾートです。
山は海に迫り、入り江の奥にある港町、山の上の街から見る紺碧の海、イタリア譲りのおいしい料理、それでいて気取らない町の雰囲気、これが世界中の観光客を惹きつけてやまない理由です。
特にニースは1860年まではイタリアの一部であったため、町の雰囲気はイタリア風です。またその背後には、鷲の巣村が数多く見られます。鷲の巣村は、10世紀前後にたびたび海上から責めてきたアラブ人の攻撃を避けるため、海の見晴らしのよい山の上に作られた、要塞都市であり、現在は中世の都市と地中海の眺望とをともに備える人気の場所として、この地方の観光には欠かせないものとなっています。その中のもっとも有名なものがエズです。
第一級の観光地だけにホテルやレストランの質は、恐らく地中海地域の中でも最高の部類に入るでしょう。こうした贅沢なリゾートも、コート・ダジュールでは楽しむことができます。
なお世界的なプロヴァンスブームを経た現在、南仏の中でもプロヴァンス、コート・ダジュール地方(ニースを含む)は、地中海のリゾートとしては珍しく、日本人旅行客によく知られているほとんど唯一の地域となっています。個人の女性(なぜか女性が多い)客から、団体のバスツアーまで多数が見られるのも特徴です。
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歴史
コート・ダジュールには、元来リグリア人が住んでいましたが、紀元前6世紀前後に、海から来たギリシア人は、Nikaia−ニカイア(現在のニース)、Antipolis−アンディポリス(現在のアンティーブ)などいくつかの都市国家を建設しました。ニカイアもその一つとして紀元前550年にギリシア人の王国マッシリア(現マルセイユ)の植民都市として、ほぼ現在の旧市街の位置に建設されました。
紀元前2世紀ごろからローマ帝国の急速な拡大がありました。地中海北岸のなかで最後まで残ったニカイアも紀元前14年、ローマ帝国の完全な管理下におかれます。
ローマ帝国滅亡後は、ゲルマン諸民族やフランク王国などに支配されたり、サラセン人(アラブ人)海賊の配下におかれる、不安定な時代を迎えました。またキリスト教が根づいたのもこの時代です。974年ギョームによりサラセン人が追放されてからは、神聖ローマ帝国内のプロヴァンス伯領として発展の時代を迎えます。
1388年サボイ領の首都となってから、ニースは広義のイタリアの一部となり、プロヴァンスの他の町とは異なった道を歩み始めます。フランス王国とイタリア系勢力の勢力争いの最前線都市としてのニースは、1543年にはトルコ・フランス連合軍に一時占領されますが、市民の奮起によりすぐ取り戻されます。しかし1691年、1703年とフランスはたびたびニースを襲います。一方リゾートとしてのニースは、1730年以来、英国貴族が好んでこの地を訪れるようになったことにより始まりました。ナポレオンの時代(1793〜1814年)にもフランスに占領され、帝国内の自治国家の首都とされました。その後サボイに戻ってからは、リゾート地としての地位は不動のものになっていきました。
1860年イタリアは統一へ向けて動き始め、その代償としてニースはフランスに割譲されて現在に至ります。しかしイタリア圏に所属した約500年の歴史は、南仏の中でも独特の味わいをニースに与えることになりました。
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旅行の季節
夏季は乾季にあたり、ほとんど毎日晴天が続きます。気温は上がりますが湿度が低く、快適な時期といえます。ただしリゾート客が集中する時期でもあり、交通、宿泊とも混雑します。
11月から3月ごろまでは雨が降ることもある不安定な気候ですが、気温は日本の冬よりは暖かく、人がいない方がいいといった静かな旅にはちょうどいい季節かもしれません。
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旅行日数
コート・ダジュール地方(おおむね、ツーロンからイタリア国境のマントンにかけての海岸線)はかなり広い地域であり、全体を見るには2〜4週間程度は必要でしょう。
ニースとその周辺の都市に限定してみても、かなりの見所があり、1〜2週間は必要と思われます。時間がない旅行の場合は、目的や地域を相当に絞り込む必要があります。
ちなみにここで紹介したニースの旧市街から城にかけての地域だけなら、2〜3時間で十分歩いて回れます。またエズの村は大変小さいので、単に歩くだけなら1時間で回れます。
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行き方(交通)
日本からコート・ダジュール(ニース)へ
ニースまでの直行便はなく1回または2回の乗換えとなります。
サベナ航空利用(月・水・土)
東京12:20→ブリュッセル17:00 乗継 ブリュッセル19:25→ニース21:05、ただし土曜発のみ翌日接続
エールフランス航空利用(月・火・水・木・土発)
東京21:55→パリ4:25 乗継 パリ7:50→ニース9:20
大韓航空利用(火・木・土発)
東京9:30→ソウル12:00 乗継 ソウル14:00→チューリヒ18:50 乗換 チューリヒ19:30→ニース20:45、チューリヒ〜ニースはスイス航空(周遊券利用)
スケジュールは1998年夏季のものです。
コート・ダジュールはパリから遠いので、パリから入るのは合理的ではありません。ニース国際空港まで直接乗り入れしている航空会社が便利で、料金も安くつきます。
コート・ダジュールの交通
電車が海岸沿いに走っており、大きな移動には便利です。バスも各都市間を結ぶものが数多くあり、便利です。観光地のほとんどは駅から距離があるため、駅からバスまたはタクシーの利用となります。
観光地は駅から離れて散在していること、それらを結ぶバスの便が必ずしも多くないこと、などからレンタカーの利用もお勧めです。
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ホテル
世界でも代表的な観光地であり、高級ホテルから気の利いたプチホテルまで良いほうは枚挙に暇がありません。しかし南仏はリゾートメッカだけあって、手ごろなホテルも探せばいくらでもあります。ただ夏季は混雑します。
また小さい村の場合、ホテルの料金が意外と高かったり、シーズンオフに閉鎖される宿もあり、注意が必要です。
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ことば
有名な大観光地は英語のみで大丈夫ですが、小さな村ではほとんど英語は通じません。日本人は、「フランス人は英語を知っていてもわざと話さない」、とよく言いますが、少なくともコート・ダジュールの人々の気質は大変親しみやすく、そのような意地悪はありません。ただし彼らは驚くほど本当に英語の知識がありません。若い人であれば、ある程度話せる人が多いようです。
彼らは日常、訛りのあるフランス語を使うといわれていますが、小都市において、特に年配者を中心にプロヴァンス語を話す人々もいます。いずれにせよフランス語であれば、必ず通じます。
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ここで紹介しなかったコート・ダジュールの見どころ
コート・ダジュール地方の見所としては、ビーチと港町を中心としたリゾート都市、それに鷲の巣村と呼ばれる山上都市の2つのタイプの町があり、大きい町には美術館が多いのも特徴です。
主な観光都市としては、
カンヌ
、
サントロペ
、
モナコ
、
アンティーブ
、
マントン
などがあります。なおモナコ市は
モナコ公国
というフランスとは別の小さな独立国家に含まれますが、入国審査はなく、フランス語が通用し、またフランスフランでの支払いも可能なため、国境を気にせず訪問することが出来ます。
またイタリアの
サン・レモ
へも電車で1時間少々で行くことができます。
ここで紹介しなかった鷲の巣村としては、
サンポール・ド・ヴァンス
、
カーニュ旧市街
、
トゥレット
などが有名です。
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