地中海,ユーゴスラビア,モンテネグロ,クロアチア,スロヴェニア,ボスニア
  「地中海生活」 1996年 増刊号 ( 11月12日発行 増刊第1号 ) 旧ユーゴスラビアの歴史−3



アドリア海沿岸バルカン半島(旧ユーゴスラビア)の歴史−3





西暦1300年〜1391年

セルビアの発展と衰退、トルコのヨーロッパ進出


 セルビア王国はドゥシャン朝の時代にはエーゲ海に達し、ギリシアのかなりの部分を征服し、大帝国となった。

 ビサンツ帝国はオスマントルコの援助で体制建て直しをはかるが、ほかならぬそのトルコに首都以外の大部分を奪われる。
 1355年セルビア王ドゥシャンが病死すると、国内では各民族が自立を始め、いくつもの公国に分裂していく。

 一方ボスニアでは1325年、南部のヘルツェゴビナに公国が興った。その後継者トゥブルトコはトルコに破れたセルビアが分裂し衰える中、領土拡大をはかり、地域最大の王国を築き上げた。





西暦1391年

ボスニア王国の消滅、モンテネグロ(ツルナゴーラ)の建国、トルコの進出とセルビアの衰退


 1391年、ボスニア王トゥブルトコが死ぬと、国内にボゴミール派、カトリック、正教徒の反目がおき、その後しばらく形式的に王国は存在するものの、またたく間に国内は諸侯や周辺諸国に事実上分割された。

 ダルマチアは、ボスニア王の死後、北部沿岸を除き内陸部までベネチア共和国がほぼ掌握する。これ以後1600年頃までの間ベネチアは発展しギリシアからエーゲ海にかけて多くの領土を獲得する。

 トルコはドゥシャン亡きあとのセルビアに攻め入り、1389年、今に語り継がれるコソボの戦いでセルビアを中心とするヨーロッパ連合軍は大敗を喫する。セルビアはギリシア、アルバニアの領土を失い、トルコの意向に従う属国になっていく。

 南部の旧セルビア領にはモンテネグロ公国が建国された。険しい山岳地帯に位置するこの小国は、その地理的な特異性ゆえに激動の中世を耐え抜き、驚くべきことに今世紀初頭まで独立を維持するのである。



西暦1500年頃

トルコの南スラブ侵攻とスラブ人国家の消滅


 オスマントルコのマホメット2世はバルカン半島に兵を進め、1459年にはセルビア王国を、1463年にはボスニアを、1486にはヘルツェゴビナを併合する。ここで確定した国境が現在のクロアチア国境になっている。またトルコは1453年ビサンツ帝国を滅ぼし、コンスタンチノープルを手に入れる。トルコ政府は宗教的寛容性を示し正教の信仰を認めたため、イスラム教は一部にしか浸透しなかった。

 セルビアでは難民が発生し、ハンガリー、クロアチア、ボスニアになだれ込み、現在の民族問題の一因となっている。

 ボスニアでは、カトリックから圧力を受けていたボスニア教会がイスラム教のトルコの進出を喜んで受け入れ、ボスニア教徒を中心にイスラム教が浸透する。

 モンテネグロはトルコの侵攻により平野部の首都を捨て、山岳部に立てこもり、ゲリラ戦で戦う。公式にはトルコに併合されるが、解放区は1878年の独立承認まで存続し、事実上独立国であった。また1516年より正教の主教が統治する、神政国家となる。

 ダルマチアはベネチアが支配を強め、ラグーザのみが自治を守る。

 ハプスブルグ領のスロベニアではプロテスタントが浸透し、国民の多くが改宗する。



西暦1600年頃

トルコ全盛時代


 オスマントルコは1526年モハッチの戦いでハンガリーを破り、ハンガリーは衰え始める。トルコはさらにハンガリーの大部分とクロアチアの一部を併合してハプスブルグ朝オーストリアの首都ウィーンをたびたび攻略するが占領できない。この時期トルコは現在のアルジェリアからエジプト、イラク、ロシアに至る地域をしめる大帝国に発展している。

 セルビアではトルコの寛容な宗教政策のためもあり、1557年セルビア正教会が設立され、トルコ支配下に入った正教総本山からの宗教的独立を達成する。以後民族意識のよりどころとしての役割を果たす。

 大部分をトルコに奪われたクロアチアはオーストリアに保護を求めその自治国となる。またトルコ国境にはオーストリアが雇い入れたセルビア人国境警備兵が住み着き、以後の民族問題の一因となる。

 ダルマチアはベネチアがトルコと協定を結び安定して支配を続ける。ラグーザはトルコの保護下で自治を守る。トルコはボスニアのネウムとクロアチアのカルロバグでアドリア海への出口を確保する。

 モンテネグロは首都のツェティニエをたびたびトルコに占領されるが何とか持ちこたえる。

 ハプスブルグ朝オーストリア統治下のスロベニアではカトリックが再度盛り返し、プロテスタントは駆逐される。



西暦1699年

対トルコ戦でのオーストリアの反撃


 オーストリア軍は反撃に転じ1687年ハンガリーを、1688年セルビアをトルコから解放した。しかしカトリックであるオーストリア支配に対する正教徒であるセルビア人の反感からオーストリアはセルビアの地から撤退する。1699年のカルロバッツ条約で新国境が確定した。オーストリア軍に協力したセルビア人が難民となり周辺諸国に脱出する。

 オーストリアはハンガリーを自治王国とし、またトルコとの国境は軍政を敷き直轄地とした。

 ベネチアは衰え始めたトルコに戦いを挑み、ダルマチアからギリシアにかけての諸地域で勝利を収め、領土拡張に成功した。しかし海運国家であるベネチアや自治国ラグーザは喜望峰廻りの航路の発展により衰退を始める。

 モンテネグロもトルコに対し勝利を収め、若干の拡大に成功する。





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